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プロ野球20世紀・不屈の物語

王貞治の通算本塁打。“868”の左腕より語り継がれる“756”の右腕とは?/プロ野球20世紀・不屈の物語【1977年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

756の鈴木、868の神部


ヤクルトの長身右腕・鈴木。77年には14勝をマークした


 プロ野球の記録というのは不思議なもので、金字塔となる数字が残された瞬間より、従来の記録が塗り替えられる瞬間のほうが騒がれ、そして印象に残るものらしい。ひとつには、のちに金字塔となる記録が達成されたときには、選手も、ファンも、それが通過点だと思っていることが多く、一方で、もちろん更新の瞬間も通過点なのだが、そのときには従来の金字塔が堂々とそびえていて、そこに近づき、抜き去る瞬間を共有できるからだろう。

 たとえば、巨人王貞治が残した通算868本塁打。これがラストイヤーのシーズン30号かつ19年連続30本塁打のメモリアルアーチでもあったが、それほどの成績で王がオフにバットを置くとは誰も思っておらず、大騒ぎになることはなかった。その通算868号を許したのはヤクルトの神部年男だったが、神部について振り返られるときも、真っ先に挙がるのは王の記録ではなく、やはり世界記録を更新した阪急の福本豊が盗塁の際に神部の牽制球で苦しめられたなど、近鉄での活躍がメーンだ。

 では、1977年に王が世界記録を更新する通算756本塁打を放ったときは、どうだったか。王は前年にベーブ・ルース(ヤンキースほか)の通算714本塁打を上回ると、王が世界の頂点に立つのを期待する“756フィーバー”が沸き起こった。マスコミだけではなく、王の自宅には連日のように100人を超えるファンが詰めかけていたという。そして9月3日のヤクルト戦(後楽園)、3回裏。ハンク・アーロン(ブレーブスほか)を超える通算756号が生まれた。

 投手は鈴木康二朗。だが、神部とは対照的だ。神部はプロ野球選手としては比較的、体の小さい左腕で、鈴木は189センチ、実際は190センチを超えていたという長身の右腕。こうした分かりやすい違いだけではない。鈴木を回顧する際には真っ先に、この“756”という数字がつきまとう。鈴木が目立った実績を残せないまま引退した投手なら、それも仕方のないことかもしれないが、鈴木の実績は神部と比べても遜色ない。ただ、またしても不思議なもので、2人は独特の双曲線を描いている。

 神部は鈴木が“756”を被弾した2年後の79年に鈴木のいるヤクルトへ移籍して、翌80年に“868”を被弾。82年いっぱいで神部が引退すると、鈴木は神部の古巣でもある近鉄へ移籍して、84年からクローザーとして2年連続で最多セーブをマークしている。その84年、鈴木は最優秀救援のタイトルにも近づいたが、「獲れなくていい。地味な性格なんで華やかな舞台は苦手ですよ」と語っていた。打撃も得意で……等など、鈴木のエピソードも豊富なのだ。それでも、鈴木にはレッテルのような代名詞がつきまとう。“756を浴びた男”と……。

初めての被本塁打


王に756本塁打を浴びた瞬間


 記録更新を許した選手も、その記録とともに名前が刻まれることを知っていて、打撃の記録のときには逃げ回る投手も少なくない。このときの鈴木にも観客から「逃げるな!」という罵声が浴びせられた。鈴木が逃げていたら、こういう形で鈴木の名が語り継がれることはなかっただろう。だが、鈴木は逃げなかった。

「王さんとの勝負は、とにかく外角へのシュートと決めていました。1回裏の打席も歩かせるつもりはなかったんだけど、フルカウントからのシュートが外れてしまいました。王さんはボール球には絶対に手を出さない。一本足打法のタイミングを外すしか打ち取る方法はありませんよ」と鈴木。第2打席は、またしてもフルカウントに。鈴木は続いて外角へのシュートを投じる。そして、微妙な制球の狂いが、新記録を呼び込んだ。鈴木のシュートは外角ではなく、吸い込まれるように真ん中へ。これを、百戦錬磨の王が逃すはずはない。

「投げた瞬間、しまった! と思ったんです。打たれたとき、ホームランだと思いました。王さんがベースを1周するのが長かったこと。でも、自分がやれることは全部やって打たれたのですから、悔いはありません」(鈴木)

 鈴木は王が苦手だったが、それまで本塁打を許したことはなく、最初の被本塁打が756号だったというのも皮肉だ。鈴木は、この77年に自己最多の14勝。「14勝もできたし、“あのこと”も、いい経験ですよ」と振り返っている。ちなみに、「756号を打たれた投手にはサイパン旅行をプレゼント」という、なんともチグハグな懸賞があったが、これは固辞した。「756号を打たれた投手」として残る名は、汚名ではなく、真っ向勝負の勲章だ。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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