目標の1000試合登板に届かずも…
ダイナミックな投球フォームでリリーバーとして相手打者を圧倒した
日米通算906試合。1998年にドラフト2位で
ヤクルトに入団した
五十嵐亮太が、引退までに投げてきた試合数だ。最速158キロの速球を武器に、ヤクルトなどのブルペンを支えてきた。2歳上の
石井弘寿(現コーチ)とのコンビは“ロケットボーイズ”と名付けられ、リリーバーの地位向上に一役買った。
2010年にメジャー・リーグ挑戦。13年に
ソフトバンクで日本球界に復帰し、19年にヤクルトに戻っても役割は変わらず、906試合すべてリリーフ登板だった。プロ23年目の今季は、二軍スタート。試行錯誤を重ねてきたが、「シーズンに入る前から、結果が出なければ引退する覚悟だった」と、ユニフォームを脱ぐ決意をした。
中継ぎのスペシャリストは「毎日試合に入れるのが醍醐味」と、自らの役割の魅力を語る。目標にしていた日米通算1000試合登板は叶わなかったが、「プロ野球の世界はこんなに素晴らしいもんなんだと、心から実感できた。本当に幸せです」と、おだやかに笑った。
引退試合では、ライトスタンドのフェンスによじ登り、ファンに向けてガッツポーズ。ファンを愛し、愛されたリリーバーの、最後の勇姿だった。
写真=BBM