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プロ野球20世紀・不屈の物語

プロ20年目の落合博満、あいさつもセレモニーもない“オレ流”のフィナーレ/プロ野球20世紀・不屈の物語【1995〜98年】

 

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。

「長嶋監督が悩む姿は見たくない」


巨人時代の96年、打率.301、21本塁打、86打点をマークした落合だが……


 落合博満は、移籍のたびに独特の表現を用いて印象的な言葉を残している。最初のチームだったロッテを去る際には、「稲尾(稲尾和久監督)さんのいないロッテにいる必要はないでしょう」と言い、中日へ移籍すると会見では星野仙一監督の隣で「男が男に惚れて来ただけ」、導入されたばかりのFAで巨人へ移籍したときには「長嶋(長嶋茂雄)監督を胴上げしに来た」と語った。“オレ流”と言われた落合だったが、移籍の際には必ず他者の存在を口にしてきたところが興味深い。

 さらに巨人では、全盛期と比べたら数字こそ物足りなくなってはいたが、圧倒的な存在感で有言実行を果たした。移籍2年目の1995年にはリーグ4位の打率.311をマークして、4年ぶりの打率3割。通算2000安打にも到達して、「苦労したよ。これからは楽に打てるな」と笑顔を見せたものの、「名球会入りのために野球をやってきたわけではない」と、その通算2000安打が資格となる名球会へ入ることを拒否するなど、“オレ流”を発揮する。続く96年も打率.301に加えて21本塁打を放ち、やはり4年ぶりに20本塁打を超えた。だが、落合にも巨人を去る日が訪れる。

 そのオフには西武清原和博がFA宣言。FA制度が導入されてから、巨人は豊富な資金力を駆使して各チームでFAを宣言した投打の主力を獲得するようになっていた。その皮切りになったのが93年オフに宣言した落合であり、続いて94年オフには広島から左腕の川口和久ヤクルトから主砲の広沢克己(克)を、さらに95年オフには日本ハムから左腕の河野博文を獲得。清原はプロ入り前から巨人に強い憧れを抱き、ドラフトでPL学園高の同級生だった桑田真澄が巨人から指名された際には会見で涙を流すなど、ドラフト史に残る“事件”の主役となった男だ。

 巨人が獲得に乗り出すのは間違いなく、獲得に成功した場合、一塁手の清原が落合とポジションを争うことになる。しかも清原は選手として脂の乗り切った時期であり、落合の出番が減ることも考えられた。それだけではなく、長嶋監督は落合にとっては憧れの存在でもある。そんな長嶋監督が自分に遠慮していることを感じた落合は、「長嶋監督が悩む姿は見たくない」と、自ら自由契約を志願した。

 野村克也監督のヤクルトと上田利治監督の日本ハムとの争奪戦となり、落合が移籍したのは日本ハム。新天地で落合に託された役割は四番打者だった。このプロ19年目、44歳の四番打者は、指名打者ではなく一塁を守り、両リーグ通算1000安打の快挙を達成、さらに4チームにまたがり17年連続で規定打席に到達する。初の規定打席はロッテ時代の81年。打率.326で首位打者に輝いて、その後の球界を引っ張る好打者として存在を知らしめたシーズンだった。だが、この97年にはリーグ28位の打率.262の自己ワースト、わずか3本塁打に終わる。まだまだ存在感は他を圧倒していた落合だが、ラストシーンは確実に近づきつつあった。

「ファンあってこそのプロ野球」


現役最後の試合となった98年10月7日のロッテ戦を終えると最後はファンと握手をして回った


 そして98年、ついに規定打席にも届かず、打率.235、2本塁打、18打点に終わる。オフに2年契約が切れることで、“退団”となった。10月7日のロッテ戦(千葉マリン)。上田監督に指名打者として先発で出場することを打診されると、「代打で始まった男ですから」と固辞する。79年5月29日の南海戦(川崎)でロッテの新人として代打に立ってデビューした落合。そのロッテの新しい本拠地で、5回表に代打で登場、一ゴロに倒れて、プロ20年目のシーズンを終える。オフに落合の獲得に乗り出すチームはなかった。

「引退じゃない。どこでも声がかかればやる。だから退団なんだ。プロ野球選手は個人事業主。結果を残せば報酬を求める。自分を高く評価してくれる球団に行く。契約できればプレーをする。契約がなければバットを置く。それだけだよ」

 最後の試合が終わった。だが、セレモニーもなく、スピーチもなかった。もちろん、日本ハムに2年しか在籍しなかったからではない。これだけの結果を残した男としては異例だが、落合にしてみれば当然のことだったのだろう。ただ、いつもとは違う異例の姿を落合は見せる。球場を出ると、球場を去っていく落合を見守る大勢のファンに歩み寄って、握手して回った。「ファンあってこそのプロ野球だからね」と落合。これも、落合にすれば当然のことだったのだろう。この姿こそ、プロ野球で最多となる3度の三冠王に輝いた男のラストシーンだった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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