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ヤクルトのドラ1・木澤尚文が高校、大学の壮絶なラストゲームから得た教訓

 

一切、言い訳をしない


2020年秋、慶大は勝てば優勝の早大2回戦で逆転負け。試合後、左翼席で活動する應援指導部へのあいさつを終えると、木澤は悔し涙を逃した(写真=菅原淳)


 学生野球において、勝って終われるほど、幸せなことはない。多くの選手は最後の試合で黒星と向き合い、次のステージへと、その経験をつなげていくものである。

「早慶戦の負けは一生、残ります。(1点リードした)2回戦の9回表に戻れないか、しばらくは考えていました。あの負けを糧にしないといけない」

 あと一歩……アウト1個が遠かった。2020年秋の早慶2回戦。早大は引き分け以上、慶大は勝利が優勝の条件だった。慶大が2対1とし、9回表の最後の守り。8回から救援した慶大・木澤尚文ヤクルトドラフト1位)は簡単に二死を取った後、左前打を浴びる。次打者の対左打者との相性から、リーグ制覇を目前としながら、ここで無念の降板となった。リリーフした投手が交代直後に逆転2ラン。慶大は9回裏の反撃も及ばず、そのまま2対3で涙をのんでいる。

「詰めの甘さ……。本当の意味で、監督から信頼を得ていなかったということです。僕の実力不足以外、何物でもありません」

 冒頭のコメントのように、後悔はもちろんある。しかし、一切、言い訳をしないのが木澤の勝負師としてのポリシーである。

 思い返せば、高校最後の夏も一生、忘れることのできない黒星だった。

 2016年夏、神奈川大会決勝。慶應義塾高は横浜高との決勝を3対9で敗退し、あと一歩で甲子園出場を逃している。木澤は同春に右ヒジを故障。エース番号は1学年後輩の右腕・森田晃介に譲り、自身は背番号10を着けた。同夏の登板は2試合のみ。2回戦(対川崎商高)で1イニングを救援し、次の登板は決勝。0対8と劣勢の中、6回途中から3番手でリリーフした。テーピング、ブロック注射、痛み止めの薬を飲んでの強行登板だった。「130キロも出ていなかった」。絶対に、甲子園をあきらめるわけにはいかない。気力だけで1回2/3を無失点に抑えた。甲子園には届かなったが、超満員に埋まった横浜スタジアムの声援を忘れることはできない。

「正直、ケガをして腐りかけた時期もありましたが、仲間が、心をつなぎ止めてくれた。感謝の言葉しかないです。これは、後から聞いた話ですが、自分がコールされた瞬間、スタンドの3年生が涙を流していたそうです」

慶應義塾高時代は3年夏、神奈川大会決勝(対横浜高)で敗退し、甲子園出場を逃している(写真=BBM)


 我慢は続く。慶大では1年間のリハビリを経て、2年春に神宮デビュー。4年時は副将としてけん引した。最終学年、リーグ優勝には届かなったが、チームのために取り組んだ過程は、成長の源となったのは言うまでもない。

 高校、大学における壮絶なラストゲームから得た教訓。木澤は悔しい思い出を振り返るだけではなく、状況を冷静に分析し、学習するだけの引き出しがある。ヤクルトでは、東京六大学で慣れ親しんだ神宮球場が本拠地。高校、大学で野球から一線を引いたかつての仲間、応援してくれた関係者、ファンのためにも、木澤はこれからも腕を振り続ける。心身のタフさが求められる長丁場のプロで、今度こそ、最後に勝って終わってみせるのだ。

文=岡本朋祐
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