一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 平和台での稲尾人気?
今回は『1970年6月8日特大号』。定価は90円。
黒い霧発覚後、平和台のヤジは熾烈を極めた。
「ライオンズ解散しろ!」「また八百長か!」
選手たちは皆、屈辱に唇をかんだ。
“黒い獅子”とも揶揄された西鉄ライオンズだが、このどん底から再建に向けた動きも始まっていた。
5月15日、平和台の外野席を無料開放。内野席3000人に対し、外野席5000人。無料とあってはそうもヤジれなかったか、球場は大いに盛り上がったようだ。
さらに翌16日の東映戦。西鉄は新鋭・
東尾修の力投と
東田正義、ボレスのホームランなどで3対2と勝利した。この日は内野席9000人、外野席1万人で、何年かぶりの大入り。
試合後には夜10時半を回ろうとしているのに平和台の玄関前に400人ほどが集まり、
「稲尾(和久)監督にお礼を言いたい」「稲尾監督、ちょっとでいいから顔を出してくれ」と口々に叫んだ。
あまりの騒ぎに稲尾監督は二階の窓から顔を出し、携帯マイクであいさつした。
「本日は声援どうもありがとうございます。皆さんのおかげで勝つことができ、心から感謝しております。早く家に帰ってお休みください」
日本中から総叩きを食らっているなかで、逃げずに指揮を執る稲尾の姿に、ファンは本気で感動していたのだと思う。
ただ、博多のファンは熱しやすく冷めやすいとも言われる。いつまでも、この熱気が続いたわけではない。
八百長疑惑選手への処分がついに下った。
5月25日16時25分、後楽園サロンでコミッショナーが会見。内容は、
「与田、益田、池永を全国プロフェッショナル野球機構のあらゆる職務につく資格を永久に否認する。船田、村上両選手は本年11月末日まで一切の野球活動を禁止する。基選手は厳重に戒告する」
というものだった。
田中勉から100万円を預かっていたことは認めながらも、八百長を否定していた池永の永久追放は当時でも意外だった。開幕前の飲酒運転による交通事故や、もともと生意気な態度が災いしたとも言われたが、それはそれではないか。
国会議員の批判を浴び、決着を急ぎたかったコミッショナーの気持ちは分かるが、与田や益田とほかの選手はまったく別だ。時間がかかってもしっかり調べ、そのうえで処分してほしかった。
せめて与田、益田の処分を先に発表し、ほかは後日でもよかったのではないか……。
積極的に八百長にかかわったと言われる与田、益田は大のギャンブル好きではあったが、ふだんは大人しく、どちらかと言えば気が弱いほうだったという。だからこそ、藤縄という毒虫にいいように使われたのかもしれない。
いやな話は続く。ほかオートレースの八百長では阪神の
葛城隆雄が逮捕され、近鉄では選手に八百長を依頼した渉外課長が謹慎中。すでにオートレースの八百長で逮捕されていた
小川健太郎は球界の賭けマージャンの実態についてもしゃべり始めているらしい。
当時、賭けマージャン、賭けゴルフは当たり前だった。ただ球界では、そのレートが高く、かつ雀荘にはヤクザがつきものだった(あくまで昔だが)。
まだ面倒な話があった。
これは八百長ではないが、後楽園での東映─近鉄戦で東映の
白仁天が露崎審判のストライクのジャッジに激高し、殴る蹴るの暴行。ただ、露崎審判は白に殴られた後もニヤリと不敵な笑みを浮かべていたという。
実は、露崎審判の前歴はボクサー。殴られながらも急所は外していたのかもしれない。
なお、当時の白は徴兵検査で韓国に帰国しなければいけない状況で、かなりイライラしていたという。
韓国軍に入れば、行先は泥沼のベトナムの可能性もある。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM