3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 同じ日に20勝をマーク
今回は『1972年9月11日号』。定価は100円。
1972年、巨人・堀内恒夫と
阪神・
江夏豊のライバル関係が新しいステージに入った。
入団が1年早い堀内に対し、江夏が「ホリ」と呼び捨てにし、それに対し、堀内が怒っていた話は以前に書いたが、この年は「ホリさん」と呼ぶときもあったという(いつもじゃなかったようだが)。
江夏は、これまで堀内をライバルと言ったことはなかった。
「ワシのライバルは平松(政次。大洋)や。お互いにこれまで20勝したもん同士、気持ちがよう通じ合った。それにONがバックにいる堀内にはワシらの気持ちが分からんやろ。ONと対決して初めて勝負の味を知るんや」
江夏は入団から20勝2回。堀内はまだなかった。当時、20勝はエースの条件とも言われていた。
そうそう、平松も江夏より学年は1つ上だが、こちらは入団年からだろう。
しかし、この72年は少し様相が違う。
6月9日には互いに通算100勝をかけた直接対決で堀内に敗れただけでなく、開幕から先発、リリーフでフル回転した堀内と、今度はカードが違うが、8月27日には19勝同士で登板日を迎えていた。
まず、川崎球場。大洋─阪神戦は午後6時半スタートだった。一方、後楽園の巨人─
広島戦は6時50分試合開始。20分の違いだ。
江夏の江夏の中で、100勝を先にやられたことはかなり頭にあったようだ。9時8分、まず阪神が5対1の勝利。127球で完投勝利で20勝を挙げた江夏のベンチに戻っての第一声が、
「巨人はまだ終わってないんやろ」だった。
確認すると、
「それじゃ、20勝一番乗りはわしや。堀内に勝った」
と言った。
対して9時13分、堀内も122球で完投勝利。自身初の20勝を挙げたが、うち18完投勝利はすごい。
「ゆうべは午前4時まで眠れなかった。ノートを広げ、広島打線の研究とかしていたんだ。それがこんなに楽に勝たせてもらってね」
と笑顔。39試合の登板で、今ならセーブはつく試合も多かった。
この時点で巨人1位、阪神2位。ともにチームが優勝ならMVP候補と言われている。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM