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1972年ドラフト会議、ロッテ新監督・金田正一のワンマンショー?/週べ回顧1972年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

さすが人格者・西本幸雄監督


表紙は巨人長嶋茂雄



 今回は『1972年12月11日号』。定価は100円。1972年11月21日、ドラフト会議の話をもう少し足してみる。

 当時は今のようにショーアップされておらず、監督がクジを引く引かないの前に、会議自体に参加しないことも珍しくなかった。その1人が阪急・西本幸雄監督だったが、この年、ついに初参加。ただ、西本監督はもともとドラフト制度について、完全に賛成していたわけではない。
 
 この日も、「小さな角封筒の中に入った1枚の紙きれで今後の人生がある程度決まるという人生のはかなさのようなものを感じたな。この制度がいいか悪いかは別として、もう少し人間としての意見が取り入れられる方法はないだろうか」
 
 さすが人格者である。

 初参加の監督と言えば、にぎやかだったのが、新監督のロッテ金田正一。このときのドラフト制度は、競合なく1球団ずつ順番に指名していくものだったが、その順番を決めるための抽選の前に、さらに、その順番を決める抽選があった(ややこしくて失礼)。この、予備抽選の抽選で1番を引いたのがカネやんだ。すぐ、「おっ、やったで!」と満面の笑み。

 本番の予備抽選では、机の上に並んだ12枚の封筒の前に真っ先に立つと、まず両手を合わせ、神頼み。続いて左で封筒を数え、5番目の封筒を引き抜くと、コミッショナー事務局の女性にハサミを入れてもらった。しかし、中を見た途端、机をバタバタと両手でたたき悔しがる。

「ロッテ12番」

 場内アナウンスの声に、ドラフト会場が大爆笑。もしかしたら、ドラフト史上、もっとも騒々しくなった瞬間かもしれない。

「ワシはやっぱり派手な男やのう。予備で一番を引き当てて本番で12番を引くなんて、両極端をいったのはドラフト史上、ワシが最初で最後やないか」とカネやん。

 カメラマンに向かい、1番と12番の2枚の紙きれを突き出してポーズ。悔しさすらパフォーマンスにするのだからさすがだ。
 
 さらに東映の田宮謙次郎監督を見つけると、「トメ(金田留広。東映にいた実弟投手)は大したピッチャーやないで!」と弟を酷評。そのあと、「田宮さん、だからうちにトメを譲ってもらうことにするで」と言って田宮を苦笑させていた。

 そうそう、カネやんの正式な監督就任会見は11月17日。カネやんが希望していた背番号は現役時代と同じ34だったが、それは生え抜きの池辺が着けていた。それでも池辺は、「カネさんのためなら僕は背番号を贈ります」と言い、この会見にも出席し、握手。この際の池辺のコメントがよかった。

「カネさん、この背番号を傷つけないよう頑張ってくださいよ」

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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