週刊ベースボールONLINE

プロ野球はみだし録

「おとぼけのルー……」日本の球団に在籍している間に死去した唯一の助っ人“褐色の弾丸”【プロ野球はみだし録】

 

サンケイ打線の主軸だったが



 じめじめした季節、ここ最近は難しいが、本来であれば冷たいビールに焼き鳥が一番だ。これを好んだことで古いファンの記憶に刻まれているのが、現在のヤクルトがサンケイ、アトムズと過渡期にあった時代にいた助っ人のルー・ジャクソン。ただ、それは悲しい記憶だ。

 1966年に入団。ポーカーフェースながらファンやチームメートからは“おとぼけのルー”と呼ばれて人気を集めた。卓越した身体能力の持ち主で、異名は“褐色の弾丸”。打撃は2年目の打率.296、28本塁打がキャリアハイだが、外野からの送球は投手よりも速いとも言われていた。好物は前述のコンビ。ただ、固形物は焼き鳥やステーキなどの肉類のみ、いっさい野菜は摂らない極度の偏食で、試合が終わると和服美人の愛人がいるスナックに直行して朝まで飲み続け、サンケイは給料を球団の管理にしたが、それでもツケで飲みまくるなど、私生活は荒れていた。アメリカ時代からプレイボーイだったというが、夫人との離婚の話が進んでいたことも荒んだ理由だったともいわれる。

 練習に来ない、来ても酔っぱらって寝ていた、ということも少なくなく、69年のオープン戦で離脱、入院したときも、周囲は仮病と思ったという。だが、ペナントレースが開幕しても、なかなか退院できない。報道陣が深刻な事態だと悟ったのは、チームメートのロバーツが殊勲打を放ち、記者に「今日のヒットをルーに捧げたい」と語ったときだった。

 ジャクソンは末期の膵臓ガンに冒されていた。膵臓壊死のため、5月27日に死去。33歳の若さだった。翌28日には球団葬が執り行われ、阪神カークランドやゲインズ、西鉄(現在の西武)のボレスら現役の助っ人たちも参列。「楽天家のルー、おとぼけのルー……」という別所毅彦監督のという弔辞に、周囲からは嗚咽が漏れた。豪傑ぶりが行き過ぎた感もある助っ人だったが、周囲からは慕われていたことが分かる。ただ、その場に夫人の姿はなかったという。プロ野球の歴史で助っ人が彩った時期は短くないが、ジャクソンは日本の球団に在籍している間に死去した唯一の助っ人でもあった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング