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プロ野球はみだし録

阪神では“バースのおまけ”(?)で解雇の危機も……85年の優勝を支えた代打の切り札とは【プロ野球はみだし録】

 

“猛虎フィーバー”の代打3人衆で


阪神・バース(左)、永尾


 ヤクルトと近鉄で初優勝に貢献した永尾泰憲については紹介したばかりだが、2チームにまたがって3年連続でリーグ優勝を経験した永尾は、近鉄の連覇が途切れると、1982年に阪神へ移籍。奇しくも、同じく“初優勝請負人”として活躍したマニエルが帰国したタイミングだった。

 阪神では代打の切り札として存在感を放った永尾。移籍1年目には自宅2階を火事で失う災難に見舞われながらも、それをバネに活躍、代打打率.358の安定感を見せる。だが、阪神3年目の84年は不振に陥り、22試合の出場、打率.158に終わった。すでにプロ12年目、34歳。解雇の危機だった。時を同じくして、契約を切られる可能性があったのがバースだ。近鉄では“マニエルのおまけ”と揶揄されながらも意地を見せた永尾だったが、阪神では“バースのおまけ”(?)、それも戦力ではなく、戦力外になる可能性があったことになる。そんな2人を重要な戦力と認めたのが、就任したばかりの吉田義男監督だった。一転、残留することになったバースと永尾。バースは三冠王に輝く大活躍で21年ぶりリーグ優勝、2リーグ制となって初の日本一を象徴する存在となる。このバースほどの派手さはなかった永尾も、渋い活躍を見せた。

 岡田彰布が故障で離脱したときに穴を埋めたこともあったが、主な持ち場は代打だ。当時の阪神で代打の切り札といえば真っ先に川藤幸三の名前が挙がりそうだが、この85年の起用回数はチーム3位の31回。1位は長崎啓二の44回で、永尾は2位の41回だった。起用が30回を超えたのは、この3人のみ。代打としては、川藤が打率.179、長崎は打率.263で、永尾は2人を上回る打率.273をマーク、特に優勝へと突き進んでいった8月には打率.300、9月は打率.571の安定感で、阪神のラストスパートを支えている。

 阪神の優勝は永尾にとって4度目の歓喜。永尾は翌86年には代打で22安打を放って当時のプロ野球記録に並ぶと、その翌87年オフに引退。15年間の現役生活で規定打席に到達したのはヤクルト時代の77年だけだったが、最終的に在籍した3チームすべてで優勝に貢献したことになった。

文=犬企画マンホール 写真=BBM
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