背番号も「35」から「3」に
人間、生きるためには食べなければならない。ただ、食べれば太るし、太ればダイエットが日課となる。よく食べ、よくダイエット。そんな日常を送っている人は少なくないはずだ。われわれ一般人にとっても食事との付き合いには課題が多いが、少なくとも日本では、ほとんどの職種で太ったところでクビになるようなことはあるまいが、これがプロ野球選手となると事情が少し違ってくる。
古くから選手のポテンシャルと食事との関係に着目、指導した監督は散見されるが、開幕を前にしたキャンプで「夕飯は1時間かけて、ゆっくり食べろ」という独特の方法で指導したのが1973年に就任したロッテの
金田正一監督だった。これが少量ならダラダラ食べてれば時間が過ぎていくのだが、なにせ運動の量も多く、栄養が必要なプロ野球選手だ。食材も多彩、そして大量。しかも、すさまじいランニングをこなしてから、1時間もかけて食べなければならない。想像しただけでも胃がムカムカしてくるような苦行といえそうだが、これには歴戦のプロ選手たちも、さすがに困難を極めた。
例外は投手の
八木沢荘六と内野手の弘田澄男だけだったという。三十路も近づいているのに難題を突破した八木沢もすごいが、金田監督が注目したのがプロ2年目、24歳を迎える弘田だった。身長163センチと小さな体ながら“完食”した弘田は、背番号は急遽「35」から「3」に変更され、ポジションも外野に転向。中堅手としてレギュラーに定着した。攻守走に全力プレーで“突貫小僧”の異名を取った弘田は、翌74年のリーグ優勝にも貢献。黄金時代にあった阪急(現在の
オリックス)とのプレーオフでは精彩を欠いたが、
中日との日本シリーズでは第4戦で同点打と勝ち越しの本塁打、3勝2敗で迎えた第6戦で先制打、延長10回表に勝ち越しの二塁打を放つ活躍で日本一の立役者となって、MVPに輝いている。
ちなみに、この金田監督の指導は、国鉄(現在の
ヤクルト)と
巨人で通算400勝を残した自身の現役時代に実践していたもので、それは食事の方法だけにとどまらない。これについては次回に詳しく。
文=犬企画マンホール 写真=BBM