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恐るべき18歳、近鉄の仲根正広の離陸と墜落/週べ回顧1973年編

 

 3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

5連続奪三振デビュー


近鉄・仲根の連続写真。汚くてすみません


 今回は『1973年4月9日号』。定価は100円。

 近鉄のジャンボ仲根、仲根正広がオープン戦で見事な離陸と墜落?を繰り返していた。
 
 3月15日のヤクルト戦では5連続奪三振の華麗なデビュー。前号に連続写真が載っていたが、当時では別格の長身193センチからの荒々しいフォームで、やや故障は心配だが、打者は恐怖感があったと思う。

 20日の伊勢市での巨人戦では三番手として登場し、末次民夫王貞治黒江透修を三ゴロ、三塁フライ、ショートゴロでピシャリ。

「スピードもあるし、いい投手になるな。少なくとも僕よりはいいピッチャーになれると思うよ」
 
 と笑った。王も2年時だが、仲根と同じくセンバツ優勝投手でもあった。
 
 ただ、このときはあくまで顔見せ。この回のみで降板した。

 次が22日、ロッテ戦だ。甲子園の先輩アイドル・太田幸司が4回を失点ゼロで抑え、二番手として登板した。しかし制球難で5回は2安打、5四球、6回は0点に抑えたが、7回にも2点を取られ、降板した。

 それでも試合後の仲根はまず「残念でした」と言ってニコリ。

「四球を出したあと慎重さが足りなかった。でも、ボカスカ打たれたわけじゃなく、自滅だからショックはない」

 とあっけらかんとしていた。

 また、巨人の長嶋茂雄が3月18日の南海戦(大阪)で頭部に死球を受け、担架で運ばれた。大阪でレントゲン検査などを受けたあと、東京の戻ってからは吉田増蔵接骨師の治療を受けた。

 22日に治療を受ける際、頭部には白い包帯が巻かれていたが、

「頭にケガをするなんて生まれて初めて。大事をとって包帯を止めているんで、こんなの傷の程度からいったらオーバーなんですよ。この写真を見たら長嶋のケガは相当ひどいんだろうと早合点するでしょう」

 と待ち受けたカメラマンたちに撮影しないよう頼んでいた。

 長嶋は、このケガで21日にあった村山実の引退試合を欠場せざるを得なかった。

 吉田接骨師は、

「大丈夫だ。3日もあればグラウンドに戻してみせる」

 と語っている。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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