3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 年俸調停第1号は誰?
今回は『1973年4月23日号』。定価は120円。
小ネタを2つ。
まず、
江川卓に縁のない?
巨人話。
甲子園で大フィーバーを巻き起こしていた作新学院高戦の江川卓。巨人ナインも大いに注目していたが、登板日になると試合や練習があって、なかなか見ることができなかった。
それが4月4日、長野県松本での日拓の試合が雨で中止。ちょうど作新の試合があるというので、ナインが宿舎のテレビの前に詰めかけた。
ところが肝心のセンバツも雨で順延。これにはナインも本気で悔しがった。
「なんだ。せっかく見ようと思っていたのに」(
王貞治)
「すごくいいらしいね。一度でいいから見てみたいと思ったのに。うちは江川に縁がないのかな」
すぐさま記者団に、
「チョウさん、そんな不吉なことを言っていいんですか。巨人が江川を狙っているのに」
何年か先を考えると、確かに不吉な予言だったか。
よくクイズになる。日本初の年俸調停選手はだれか。
これを
中日・
落合博満と答えると「ブー」になる。
阪神の
レオン・マックファーデン選手だ。前年の2万5000ドルから5000ドルの減俸を申し渡され、ゴネた。その後、球団の要請で初の調停委員会が開かれたが、「この減俸は妥当」と結論が出され、阪神の勝訴となった。
調停委は「昨年54試合にしか出場しておらず、172打席。打率こそ.283だが、これを高く評価すべきではない」と理由を語った。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM