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プロ野球回顧録

清原和博のフルスイングが野茂英雄、伊良部秀輝をメジャーへと運んだ?【プロ野球回顧録】

 

パ最大の売りとなった“平成の名勝負”


近鉄・野茂英雄


 1980年代のパ・リーグは熱かった。阪急がオリックスに、南海がダイエーに姿を変える一方で、黄金時代を謳歌していたのが西武。その中心にいたのが、86年に入団した清原和博だ。王貞治(巨人)が持つ本塁打のプロ野球記録を抜くのは清原しかいない、と言われたパワーヒッター。そのスイングは好投手、特に剛速球を武器にする投手と対峙したとき、より鋭さを増した。力と力の激突。三振か、本塁打か。90年代に入るや否や、清原の闘志は最高潮を迎える。

 90年4月10日の近鉄戦(藤井寺)。この日、プロ初登板となったのが、80年代最後のドラフトで史上最多の8球団が競合した野茂英雄だった。1回表、いきなり野茂は無死満塁の大ピンチを迎える。打席には清原。1ボール2ストライクからの4球目、清原のバットが空を切った。

90年4月10日、野茂と清原の初対決


「清原さんには全部ストレートですね。自分に力があれば打たれてもファウルだし、そうでなければ持っていかれる。真剣勝負なんですよ」

 と野茂は振り返る。清原もまた、

「対戦していて楽しいピッチャー。ストレートを待っているのが分かっていてもストレートで押してくる」

 と、その対戦を楽しみにするようになった。以来、2人の対決は“平成の名勝負”としてパ・リーグ最大の売りとなる。野茂のメジャー移籍で5年と短い期間ながら、対戦成績は通算118打数42安打。うち10本が本塁打だから、およそ4本に1本は本塁打にしたことになる。一方で、三振も34を数えた。

「乗せられて投げていました」



 清原と野茂の対決が注目を浴びていたころ、爪を研いでいたのが伊良部秀輝だ。野茂よりも2年早い88年にロッテ入団も、本領を発揮できず、清原との対決も多くなかったが、伊良部は「清原さんがいたから5キロは球速が上がった」と振り返り、また「速いだけの球は打たれるのは分かっているけど、乗せられて投げていました」と笑う。そして、そんな伊良部に清原も目の色を変えた。

 その対決の様相が一変したのは93年。それも、わずか1球がきっかけだった。5月3日の西武球場。伊良部が清原へ投じた1球が、当時の最速となる158キロを計測する。「こんなに出ていたの?」と伊良部も驚いた剛速球を、清原はバットに当ててファウルに。立て続けに2球、157キロのストレートを投げ込んできた伊良部に、あわや本塁打という二塁打で応えた。

 以来、2人は力と力の真っ向勝負を繰り広げて、やはり“平成の名勝負”と言われるようになる。伊良部は「いつか160キロで清原さんを三振に取りたい」と剛速球を投げ込み、それを打ち返さんと清原はバットを振った。のちに清原が巨人へ移籍し、伊良部がメジャーを経て阪神で日本へ復帰すると、セ・リーグでも“名勝負”が再現されている。通算の対戦成績は通算129打数37安打。本塁打は11本で、安打に占める本塁打の割合は野茂より多い。一方、三振は41(被安打37)。これも奪三振が被安打を下回っていた野茂より多い。

 清原と名勝負を繰り広げた両雄は、清原と対決しながら成長を遂げ、メジャーでも大いに結果を残した。清原の豪快なフルスイングが、この2投手をメジャーへと運んだ……というのは、言い過ぎだろうか。

写真=BBM
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