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日本人メジャーの軌跡

ヤンキースに高額移籍も活躍できず。マイナー生活に耐えた井川慶/日本人メジャーの軌跡

 

2003年に沢村賞とMVPに輝いた阪神のエース・井川慶が阪神からポスティングシステムを利用してヤンキース入りを決めたのは06年オフ。西武松坂大輔がポスティングシステムでレッドソックスに移ったのと同じ年だった。ヤンキースは松坂獲得に失敗して井川を獲得。口さがないニューヨークのメディアは「井川は松坂の残念賞」と揶揄したものだ。

3年目からメジャーに上がれず


ヤンキース・井川慶


 井川の入札金は2600万ドルで、5年契約の年俸総額は2000万ドル。松坂には及ばないものの、残念賞と言うには大きな金額だった。ヤンキースの期待は大きかったのだ。

 ところが結果は残念だった。デビュー戦は07年、開幕4試合目のオリオールズ戦。1回に本塁打で1点を先制されたその裏、アレックス・ロドリゲスの2点本塁打で逆転してもらったものの、2回に押し出しなどで4点を失う。結局5回を投げて8安打7失点。ヤンキースが逆転勝ちを収めたたが、大炎上した。

 この後も失点を重ね、5月初めに6試合で2勝1敗ながら、防御率7.63。マイナー降格を命じられた。6月下旬に昇格も1カ月後に最降格。9月下旬に再昇格とメジャーに定着できず。1年目は14試合(先発12試合)で2勝3敗、防御率6.25という不本意な成績に終わった。

 1年目で見切りをつけられ、2年目は先発陣の構想から外れた。メジャーでは2試合(うち先発1試合)で0勝1敗、防御率13.50。3Aでは14勝6敗、防御率3.45と実力を示したが、ヤンキースで活躍する機会は与えられなかった。3年目以降はメジャーでの登板なし。常勝が義務付けられる球団にあって、戦力にならない助っ人外国人に居場所はない。かくして「ヤンキース史上、最悪の契約のひとつ」と言われている。

 硬いマウンド、滑るボールなど日本との違いを克服することができなかった。球数制限の厳しいメジャー式の練習になじめなかった。ただ、不運があったのも確かだ。環境が変われば力を発揮できるのではないかと見られ、パドレスのように獲得を打診した球団があったものの、ヤンキースは入札金を含めた金額を回収しようとしたため話がまとまらず、飼い殺しにされることになった。

 アメリカ生活は不本意なものであったろう。だが「5年間はムダではなかった。(メジャーだけでなく)いろいろな野球が見られたし、さまざまな勉強もできた」と振り返っていた。貴重な経験であったのは間違いない。自身ためにも球界のためにも生かしてほしいものだ。

『週刊ベースボール』2021年8月30日号(8月18日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
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