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平成助っ人賛歌

いまや世界的な名指導者!? 野村ヤクルトを日本一に導いた“恐怖の八番打者”ミューレン/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

 

NPB初のオランダ人選手


ヤクルト・ミューレン


巨人やヤクルトみたいな強いチームとは「格が違う」。選手層というか、名前を見てもウチは戦力的に落ちているなと」

 1995(平成7)年の自チームについて、当時ルーキーの川尻哲郎は『ベースボールマガジン』10月号「阪神タイガース 暗闇の猛虎伝説」の中でそう語っている。暗黒期に足を踏み入れ、95年から01年の7シーズンで4年連続を含む6度の最下位。当然、そういうチーム状況では、外国人選手は救世主級の大活躍を求められる。95年の阪神新助っ人コンビもそうだった。

 グレン・デービスはオープン戦8試合で5本塁打をかっ飛ばして、在阪スポーツ紙に毎度おなじみ「神様・バースを超えた!」と騒がれたが、最終的には打率256、23本塁打、77打点。モデルのスーザン夫人が映画『ダイ・ハード3』のキャンペーンガールを務め話題となったスコット・クールボーは、ケガで出遅れたものの打率.278、22本塁打、77打点。ふたりとも1年目としては及第点の成績を残し、阪神大震災直後には「ホームタウンがこんな被害を受けて……必ずチャンピオン・フラッグをこの地に持って帰ってくる」と誓った人格者だった。しかし、当時はなにかとバースと比較され、さらに間が悪いことに、前年限りで阪神を退団してヤクルトへ移籍したオマリーが四番に座り日本一の立役者に。その球団フロントに対するファンの怒りも上乗せされて、グレンとクールボーも期待外れと叩かれた。

 さて、同年に神宮球場でそのオマリーとコンビを組んだのが、NPB初のオランダ人選手、ヘンスリー・ミューレンである。カリブ海に浮かぶ島、人口17万人のオランダ自治領キュラソー島出身選手初の大リーガーは、ヤンキース時代の89年8月23日にメジャー・デビュー。当日はキュラソーのスポーツ史に残る記念日として、首相や政府のお偉い方から電報が山ほど届いた。ミューレンも16歳まで野球と両方プレーするほどサッカーが盛んな地域だったが、その大リーグデビュー以降は野球人口も増えたという。まさにキュラソーの星だ。身長190センチ、体重94キロで右打ちの大型野手として期待されるも、5シーズンで打率.221、12本塁打。ヤンキースの厚い選手層に阻まれて満足な出場機会が得られず、94年に26歳の若さで千葉ロッテマリーンズへ入団する。

94年、ロッテで日本球界でのスタートを切った


 しかし、日本で同僚となったメジャー実績のあるメル・ホールが年俸2億2000万円だったのとは対照的に、ミューレンの年俸は4920万円と抑えられた。家族が来日する前は、助っ人投手のマイク・ハートリーと近所のスーパーマーケットへ出かけて、テンプラや白身魚など日本食を料理して節約生活。キュラソーではオランダ語、スペイン語、ポルトガル語の混成語であるパピアメント語を使うため、語学に堪能で英語や日本語の習得も早い。球場では大声で挨拶をして日本人選手たちからも好かれ、練習中に流れる音楽に合わせてブレイクダンスを披露する。どこにでもいる気のいい普通の兄ちゃんといった雰囲気だ。

「2人合わせてサンキュー・セットや」


 ロッテ時代はホールからのイタズラ……というよりほとんどイジメに近い嫌がらせに悩みながらも、主に左翼を守り23本塁打、69打点をマーク。打率.248に135三振と安定感は欠いたが、107安打中23ホーマーというパワーを評価する声は多かった。しかし、オフにバレンタイン新監督が就任。自ら大物大リーガーを日本に連れていきたいボビーの意向もあり、1年限りで自由契約に。

「なぜ2年目に伸びる可能性のある選手をロッテが切ったのか理解に苦しむ」と球界関係者は首をかしげたが、キュラソーの未完の大器に目をつけたのが、ヤクルトスワローズを指揮していた野村克也だった。オフに広沢克己ジャック・ハウエルがライバル球団の長嶋巨人へ移籍。その穴を一塁オマリー、三塁ミューレンで埋めようとしたのだ。

「オマリーが背番号3でミューレンが9やろ。2人合わせてサンキュー・セットや、ワハハ。これで、もう1人、ベリー・マッチというのが来れば、サンキュー・ベリー・マッチやな、ガハハ」

 ノムさんはなんだかよく分からないIDギャグで、戦力ダウン必至という解説者からの声を笑い飛ばし、広沢とハウエルについて記者から質問されると「あの2人は俺が目指している野球に逆行する存在だった。悪く言えば劣等生。だから惜しい選手を失ったとは思えない」と不機嫌そうに吐き捨てた。その強気の発言には根拠があった。阪神時代は4年連続打率3割も長打力不足と怠慢プレーがネックと言われたオマリーだったが、神宮は得意で4年間で11本塁打を記録。15打数に1本の確率でホームランが出ていた。ヤクルトで環境を変えたら年間30発も望める可能性がある。性格が良く若いミューレンも三塁レギュラーで使えば、広い千葉マリンスタジアムを本拠地にしながら23発放った長打力が、さらに開花するかもしれない。百戦錬磨のノムさんはオマリーのプライドをくすぐりながら、助っ人陣のまとめ役を託した。

「ミューレンがなあ。あの打撃。おい、オマリー、なんとか言ってやってくれんか。落ち込んどるからな、ミューレンは」

95年、日本シリーズでオリックスを破って日本一に。オマリー、ブロスとともに神宮のフェンスをよじ登ってファンと喜びを分かち合った


 まだ荒削りで、ホームランか三振かの豪快な打撃につけられた背番号9のニックネームは、いつか当たる「バンバン宝くじ」。不動の四番打者として起用されたオマリーとは対照的にミューレンは五番も打てば、六番や七番、さらに夏場には八番で固定され、「恐怖の八番」と呼ばれるようになる。好調なチームにおいて、六番秦真司、七番池山隆寛、八番ミューレンはダブルクリーンアップと称された。95年8月17日の阪神戦では湯舟敏郎から左翼席へ130メートルの特大満塁弾を叩き込み、野村監督も「宝くじが当たったで」なんて大ハシャギ。8月26日の中日戦では、初回に左へ先制3ラン、5回には右へ技ありのソロ、6回にはダメ押しのセンター左への2点二塁打。見事に打ち分け計6打点の大活躍だ。その時点で85安打中24ホーマーと3.5安打に1本の割合でキング争いの大穴に浮上する。

 このシーズン、終わってみれば130試合フル出場を果たし29本塁打、80打点。一方で打率.244、リーグ最多の134三振とド派手な「バンバン宝くじ」は野村ヤクルトのリーグ優勝に貢献した。日本シリーズではイチロー擁するオリックスを下し日本一に輝き、オマリー、テリー・ブロス古田敦也、そして28歳のミューレンが肩を抱き合い輪になって喜びを分かち合う風景は、95年シーズンのチームの団結を象徴する名シーンだった。

「彼らと一緒にやれて幸運だった」


コーチとして2018年の日米野球で来日(左からフレディ・ゴンザレス、ミューレン、松井秀喜。写真=Getty Images)


 翌96年は三振を減らそうとコンタクトレンズで視力を矯正して臨むも、どういうわけかさらに空振りが増えて2年連続三振王の140三振。ボールにコンタクトはできなかったが、25本塁打を放ち存在感を見せた。しかし、チームは故障者続出で4位。オマリーとミューレンはこの年限りで退団した。それから15年後の『ベースボールマガジン』2011年9月号には、当時サンフランシスコ・ジャイアンツで打撃コーチを務め、いきなりワールド・シリーズを制覇したミューレンの独占インタビューが掲載されている。現役時代、日本野球にアジャストするため、スイングを短く、コンパクトに変えたという。

「メジャーは外角を中心に投げ込んでくるけど、日本では内角にどんどん攻めてくるしシュートをたくさん使う。ファウルにならないように打ち返すにはスイングを変えるしかなかった。シュートやフォークボールに対応することで、打者としての技術が上がったと思う。伊勢コーチ(孝夫、当時打撃コーチ)にはとてもお世話になったし、野村監督からも多くを教わった。彼らと一緒にやれて幸運だった」

 のちにミューレンのベースボールアカデミーでトレーニングしていた、同郷のウラディミール・バレンティンが、ヤクルトへ入団した際には、メールでアドバイスを送った。もちろん自身の17年間の選手生活を振り返り、「私はいつもいいときにいい場所にいたと思う」と古巣ヤクルトへの感謝の気持ちも忘れていない。

「選手としてのキャリアの中では、あの1年が最高の年だったと思っている。私にとっても初優勝だったしね。野村監督の下で日本人選手は細かく役割を任されていたけど、私とオマリーについてはのびのびやらせてくれた」

 サンフランシスコで3度の世界一を経験した名コーチは、WBCや東京五輪予選ではオランダ代表監督を務め、スポーツ界への大きな貢献を認められオランダ王室から勲章を授与された。まだ54歳と若く、メジャー各球団の監督候補として度々名前が挙がっている。そんな現代の野球界の成功者は、ときに心のずっと奥の方にある日本生活を懐かしく振り返るという。

「神宮球場での巨人戦の盛り上がりは忘れられないよ。大歓声の中で紙吹雪が舞い、わくわくしながらプレーした。いまでもあのときの高揚感を思い出したくて、ビデオテープを見直したりするんだ」

文=プロ野球死亡遊戯(中溝康隆) 写真=BBM
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