3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。 下がり気味の評価
今回は『1973年9月10日特大号』。定価は120円。
夏の甲子園2回戦、雨の銚子商高戦で敗れた作新学院高の怪物・
江川卓。栃木に戻り、すぐに作新の寮を出た。あとは国体と韓国遠征が高校球児としての活動となる。
江川の進路希望はプロではなく、大学進学。第一希望が慶大、第2希望が早大だった。
12球団は当然ドラフト1位候補に挙げていたが、「すぐプロでも勝てる逸材」と沸騰したセンバツ後に比べれば、やや微妙となっていた。
一つには球威が明らかに落ちていたからだ。
南海・山下スカウトが「打者の手元でグーンと伸びる球がなかったが、どうしたんだろう」と言えば、阪神の河西スカウトは、
「春から進歩のあとはまったく見られなかった」
と手厳しい。
広島の木庭スカウトのように、
「江川の良さはストレートよりむしろカーブにある。あのキレのいいカーブは、プロでもしっかり通用する」
と真っすぐ以外に着目する声もあった。
さらに一部球団が指名を回避しようとしていたのは、1億円ともウワサされた契約金だ。当時は予備抽選の順番で指名し競合はなかったが、せっかく大事な1位枠で指名しても契約金が安いと断られては困る(別に江川サイドが1億円じゃなきゃ入団しないと言ったわけではないが)。
なお新人の契約金は1000万円と決まっていたが、それは表向き。法大・田淵幸一の阪神入りの際には5000万円だったとも言われ、完全に有名無実となっていた。
「1番クジを引いたら江川を指名しないわけにはいかないだろうし、1番クジは引きたくないな。球団の財布も苦しいので」
と言う球団関係者もいたという。
お互いにけん制のし合っていたこともあり、何となく湿ったままの江川争奪戦で、唯一、熱心なのは
ヤクルトだった。松園オーナーが自ら動き、栃木県の政財界に根回しを始めていた。
「あらゆる犠牲を払っても獲れと命じてある。ヤクルトだけではなく、江川を入れることが球界全体の繁栄につながるし、ファンへの使命だと思うから熱心にやらせているんだ。誠意ではよそに絶対にひけを取らない自信がある。おそらく江川がプロから指名されてうんと言うのは、うちと
巨人さんのどちらかが指名したときに限るでしょうな」
と松園オーナー。実は江川自身が大の
長嶋茂雄ファン。いくら大学進学希望と言っても巨人から指名されたら入団するだろう、と噂されていた。
ここで気になる一文がある。
もし江川の希望球団が1位クジではなかったら、という話だ。こうある。
「下位ならば1位球団に身代わり指名をしてもらって三角トレード」
荒川堯パターンではあるが、身代わり指名は穏やかじゃない。
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM