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桑田真澄と上原浩治…巨人の「ミスターコントロール」で浮かぶのはどっち?

 

巨人で一時代を築いた上原[左]、桑田


 巨人のエースとして一時代を築いた桑田真澄(現巨人一軍投手チーフコーチ)と上原浩治(現野球評論家)は、抜群の制球力に定評があった。桑田は身長174センチと恵まれた体格ではなかったがPL学園高で全国制覇を2度達成するなど制球力は当時から高校生離れしていた。東海大仰星高で外野手だった上原は、大体大で投手としての素質を開花させる。両投手のタイプは違うが、共に制球力を武器にマウンドで結果を残し続けた。あなたが「巨人のミスターコントロール」で思い浮かべるのは、どちらだろうか。

投手として高かった総合力


すべての球種を自由自在に操った桑田


・桑田真澄(巨人、パイレーツ)
※通算442試合登板 173勝141敗14セーブ 防御率3.55 勝率.551

 名門・PL学園高で1年からエースを務めて夏の全国制覇に導くなど、甲子園に5度出場。甲子園通算20勝は歴代2位の記録だ。巨人にドラフト1位で入団。エースナンバー「18」の先輩で通算203勝を挙げた野球評論家の堀内恒夫氏は週刊ベースボールのコラムで、「桑田が入団した年に私はユニフォームを脱いでいたが、キャンプで初めて彼の投球練習を見たとき『巨人はこいつで10年は食えるな』と思ったものだ。私をこんな気持ちにさせた投手は江川(卓)と桑田以外にはいない。ストレートは速い。カーブは大きく曲がる。コントロールもいい。野球センスもよく、高校から入団した投手としてはモノが違った」とその衝撃を振り返っている。

 入団2年目の87年に15勝6敗、防御率2.17で最優秀防御率を獲得。同年から6年連続2ケタ勝利をマークした。縦に大きく割れるカーブはカウントを稼げるし、決め球にもなる。スライダー、スプリット、シュートの制球力も高く、まさに自由自在に球を操っていた。30歳を超えてからも98年に16勝5敗で最高勝率(.762)、02年に12勝6敗、防御率2.22で2度目の最優秀防御率に輝いた。

 桑田の魅力は投球だけでない。フィールディング、けん制の能力も高い。ゴールデン・グラブ賞を西本聖と並ぶ歴代最多タイの8度受賞。打撃でも通算打率.216は51年以降に通算500打数以上を記録した投手の中で歴代最高だ。向上心旺盛で野球に取り組むストイックな姿勢はナインの良きお手本だった。現役晩年に巨人の戦力構想から外れると、メジャーに挑戦。パイレーツに入団し、39歳70日でメジャーデビューした。

 現役引退後も東大大学院の特任研究員で野球を科学的に研究するなど精力的に活動。昨年に巨人の一軍投手チーフコーチ補佐に就任し、15年ぶりにユニフォームを着た。きめ細やかな指導に定評があり、今年から一軍投手チーフコーチに就任。投手王国再建に全力を注ぐ。

日米通算100勝100セーブ100ホールドも


リリースポイントが常に一定だった投球は抜群だった上原


・上原浩治(巨人、オリオールズ、レンジャーズ、レッドソックス、カブス)
※NPB通算312試合登板、112勝67敗33S23H、防御率3.02
※MLB通算436試合登板、22勝26敗95S81H、防御率2.66

 高校時代に輝かしい実績を打ち立てた桑田に対し、同じ大阪府で生まれ育った上原は東海大仰星高時代で無名の選手だった。当時は外野手で3年に上がると投手も兼任したが、エースに建山義紀(元日本ハム)がいたため登板機会はほとんどなかった。卒業後は教師になりたいと、大体大の入試を受けたが不合格で浪人生活に。予備校での勉強、家計を助けるためのアルバイトと共に体力強化に取り組んだ。

 大体大で本格的に投手転向したことで野球人生が大きく変わる。大学通算36勝4敗で5度のリーグ優勝に大きく貢献。97年のインターコンチネンタル杯の日本代表に選ばれ、国際大会151連勝中だったキューバ相手に決勝戦で投げ勝って衝撃を与えた。

 巨人に逆指名で入団すると、1年目の99年に20勝を挙げるなど抜群の制球力でエースに。最多勝、最優秀防御率、最多奪三振を2回、最高勝率を3回獲得した。中日立浪和義監督は週刊ベースボールのコラムで初対戦した当時をこう振り返っている。

「上原選手のすごさは、まずフォームにあります。常に安定し、球種に関係なく、リリースポイントがいつも一定。そしてトップに入るまでの後ろの部分が小さく、前が大きい。球の出どころも分かりづらく、スピードガン以上に球速を感じます。長身で角度もあったので差し込まれてしまうことも多かったです。フォークボールもストライクを取る球、空振りを取る球とを投げ分け、それもコントロールがいい。あの時点で、すでにプロで勝てる投手の条件を備え、完成形にありました」

 テークバックが小さく腕の振りが速い投球フォームで、球の出どころが見づらく球速以上の速さを感じる。そして、球の軌道を制御しづらいフォークの概念を変えた。シュート回転させて右に落としたり、スライダー回転させて左に落としたりするなど軌道、落差を変幻自在に投げ分ける。NPBで1583.2イニングを投げたが、9回あたりの与四球数が1.20と抜群の制球力だった。メジャー移籍後も13年にレッドソックスの守護神として日本人初のワールド・シリーズでの胴上げ投手に輝くなど救援で活躍し、18年には史上初の日米通算100勝100セーブ100ホールドを達成。名球会入りはしていないが、球史に名を残す大投手だ。

写真=BBM
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