週刊ベースボールONLINE

プロ野球回顧録

来日当初は「控え要員」もナゴヤドーム本拠地で47本塁打…落合政権で活躍した「四番打者」は

 

来日後、2年連続本塁打王に


中日時代のウッズ


 昨季はリーグワーストの405得点と貧打に苦しんだ中日。ファンはこの強打者のような助っ人の補強を望んでいるのではないだろうか。2003〜08年の来日6年間で240本塁打をマークし、本塁打王3度、打点王1度を獲得したタイロン・ウッズだ。

 来日当初はそれほど期待が大きくなかった。米国では守備面が課題だったこともあり、10年間で10球団を渡り歩いたがメジャー昇格は一度もできなかった。海外に活躍の場を求めて韓国へ。斗山ベアーズで1年目に42本塁打、103打点で2冠王を獲得するなど5年間プレーした後、02年オフに横浜(現DeNA)に入団した。

 注目されたのは同じタイミングで入団したメジャー通算39本塁打のスティーブ・コックスだった。新外国人の年俸で当時横浜球団史上最高額の年俸3億円の3年契約(3年目は横浜側が選択権を持つオプション)。一方、ウッズの年俸は6分の1の5000万円。コックスと同じ一塁で「控え助っ人」という位置づけだった。

 だが、その序列をすぐにひっくり返す。コックスが来日1年目の2月に右ヒザ外側半月板損傷で戦線離脱し、開幕に間に合わずに復帰後も戦線離脱。6月下旬に一時帰国すると、復帰のメドが立たず戻ってくることはなかった。チャンスが巡ってきたウッズはきっちりモノにする。来日1年目の03年に40本塁打、04年も45本塁打で2年連続本塁打王に。日本語で積極的にナインとコミュニケーションを取るなど、すっかりチームに溶け込んでいた。

韓国球界から横浜へ。いきなり快音を連発した


 04年オフに中日へ。球団史上最高額となる年俸5億円の2年契約を結んだ。本拠地が横浜スタジアムから広いナゴヤドームに変わっても、規格外の飛距離で本塁打を量産する。06年に打率.310、47本塁打、144打点と圧巻の数字で3度目の本塁打王と初の打点王を獲得し、リーグ優勝に大きく貢献。落合博満監督とも深い絆で結ばれていた。10月10日の巨人戦(東京ドーム)で4回に右翼席へ46号先制3ラン、延長12回に左中間席へ47号満塁アーチを放った際は、三塁ベンチ前で指揮官と固い抱擁。試合中は喜怒哀楽を出さない落合監督が、珍しく感極まって目に涙を浮かべていた。

異国で活躍するための創意工夫


 長距離砲の外国人選手はプルヒッターが多い傾向があるがウッズは違った、相手バッテリーが長打を警戒して外角中心の攻めでも逆方向の右翼に弾丸アーチを飛ばす。中日に移籍後はシーズン打率3割を2度マーク。06、07年に2年連続リーグ最多四球を選ぶなど出塁率も高く、フォア・ザ・チームに徹する姿勢が見られた。身体能力が高いだけがコンスタントに活躍した理由ではない。異国の地で活躍するために創意工夫を怠らなかった。

 中日の立浪和義監督は週刊ベースボールのコラムで、ウッズについて以下のように評している。

「インサイドが強いか弱いかは天性のものもあり、なかなか克服は簡単ではありません。ただ、私の現役時代、横浜(現DeNA)、中日で打ちまくったタイロン・ウッズはインサイドが打てないというわけではありませんが、決して得意ではなかった。それをややホームから離れて立つことで克服し、リーチの長さという利点を生かし、外寄りの球でも長打を量産していました。タイロンはメジャーでの経験がありませんでしたが、日本で絶対に成功するんだ、というハングリーさがあり、その中で日本のピッチャーを攻略するために考えたんでしょうね」

 外国人としては日本球界初の6年連続30本塁打をマーク。すべての年で35本塁打以上と圧巻の数字を残した。こんな助っ人は今後もなかなか現れないだろう。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング