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ロッテで大活躍も巨人移籍後は未勝利…「ミスター違和感」と形容された助っ人投手は

 

故障で期待を大きく裏切る形に


97、98年と長嶋茂雄監督率いる巨人に在籍した左腕・ヒルマン


 移籍したことでこれほどイメージが変わってしまった助っ人外国人は珍しいだろう。ロッテ、巨人でプレーし、4年間でNPB通算26勝をマークしたエリック・ヒルマンだ。

 上記の26勝はすべてロッテで挙げた白星だ。身長208センチの長身左腕はマウンドに立つと迫力十分だったが、実は技巧派左腕だった。カーブ、スライダー、スクリューを低めに集めて凡打の山を築く。直球は140キロ前後だったが、スライド、シュートさせるなど巧妙にバットの芯を外した。制球は良いが96年にリーグ最多の15死球を与えている。相手打者に踏み込ませないために内角を果敢に突いている証だった。

 当時のロッテは変革期だった。バレンタイン監督が就任して低迷期からの脱却を図る中、ヒルマンは3A時代の恩師でもある指揮官のラブコールを受けて入団する。伊良部秀輝小宮山悟と三本柱を形成し、95年は12勝をマーク。9年連続Bクラスから2位躍進の原動力となる。翌96年は29試合登板で14勝9敗、防御率2.40。最優秀防御率のタイトルは伊良部にわずかに及ばなかったが、両リーグ最多の213回1/3と投げまくった。同年夏に週刊ベースボールの独占インタビューで、ヒルマンはこう語っている。

「僕はどんなプレッシャーも感じていないよ。日本語のメディアを理解できないし、テレビもよく分からないから、自分のことをキッチリやるだけ。メディアは書きたいことを書き、テレビは言いたいことを言えばいい。言葉を理解できないから、それをいちいち気に病むこともない」

 ロッテファンからの人気も高かったが、96年限りで退団し、2年総額2億5000万円で巨人に移籍する。日本での実績十分だったことから即戦力左腕として期待されたが、故障で大きく裏切る形に。97年は春季キャンプから左肩の違和感を訴えて開幕二軍スタート。5月に一軍昇格したが、2度目の登板で左肩に違和感を訴え、わずか7球で降板する。そのまま登録抹消となり米国に帰国して内視鏡手術を受けたが、その後も左肩の状態が思わしくない。

ロッテでは先発として2年間で26勝と結果を残した


 復活を期した翌98年だったが、春季キャンプのフリー打撃登板後に「小錦が肩に乗っているような感じ」と再び左肩の違和感を訴えて帰京。「ミスター違和感」というありがたくない異名をつけられた。2年目は1試合も登板することなく契約途中の5月30日に解雇を通告されて退団。「肩が治ったらジャイアンツの入団テストを受けたい」と言い残したが、その思いが叶うことはなかった。

仮病を疑う声もあったが……


 当時ヒルマンを取材したスポーツ紙記者はこう振り返る。

「巨人に移籍してきて明らかに左肩がおかしかったです。恐々と腕を振っている感じで直球も135キロ出ていなかった。退団後に左肩の関節唇断裂で手術したと聞きましたし、『仮病』を疑う声がありましたが、本当に痛かったのでしょう。性格は明るかったですよ。ジャイアンツ球場でリハビリをしていましたが、ファンサービスも上機嫌にやっていた。帰るのも早かったですけどね。日本で活躍したから計算が立つと思っていましたが、外国人の獲得は本当に難しいと感じました」

 ロッテの2年間で410回2/3を投げたが、巨人在籍2年間は計6イニングのみ。左肩のケガが致命傷となり、00年限りで現役引退した。

写真=BBM
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