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日本人メジャーの軌跡

「火の玉ストレート」でMLB挑戦も右ヒジ故障の不運に見舞われた藤川球児/日本人メジャーの軌跡

 

阪神の守護神、「火の玉ストレート」の藤川球児は2012年のシーズン終了後、海外FA権を行使した。このとき、32歳になっていた。最優秀中継ぎ2度、最多セーブ2度。カブスと2年総額950万ドルに加えて出来高という契約を結んだ。入団会見で藤川は「すべてが挑戦。しっかり努力を重ねていきたい」と、意気込みを口にした。

この上ないスタートを切ったが……


カブス時代の藤川


 当時カブスの編成トップはセオ・エプスタイン本部長。レッドソックスのGM時代に松坂大輔を獲得している。日本人投手の優秀さと、経済効果を知っている人物だった。藤川はスプリングトレーニングで8試合に登板して防御率2.35。順調に過ごして開幕を迎えた。メジャー・デビューは4月1日の開幕戦。相手はパイレーツ。3対0とリードした9回裏、2012年に20セーブを挙げたクローザーのカルロス・マーモルが登板したが1点取られて一死一、二塁で降板。ジェームズ・ラッセルが二死としてから出番が回って来た。ラッセル・マーティンに2球目を打たせて中飛。わずか2球でメジャー初セーブを挙げた。

 この上ないスタートを切ったが、そのまますんなりとはいかない。4月6日のブレーブス戦では1回3失点。5試合目の登板となった4月12日のジャイアンツ戦でも1回で3点を失い、この後に右前腕部の張りで戦列を離れることになった。

 5月10日に復帰するも、7試合に登板して再び故障。トミー・ジョン手術を受けることになった。日本で活躍してきた疲労がちょうどこの時期に噴き出たのだ。ここまで12試合に登板して1勝1敗2セーブ、防御率5.25。12回を投げて奪三振14。これが1年目の成績だった。

 メジャーに復帰したのは翌14年8月6日のロッキーズ戦。4対8の6回無死一、二塁でマウンドに上がった。死球を与えて満塁になったあと、併殺で1点を許したものの後続を打ち取り、自身は1回無失点だった。2年目は15試合で勝敗、セーブともゼロで防御率4.85。ほとんどが負け試合で、救援陣の中心はヘクター・ロンドンなど16年のワールド・シリーズ優勝に貢献する若手になっていた。シーズン終了後にFA。レンジャーズに入団することになった。

 レンジャーズでは故障や首脳陣との行き違いがあり、2試合に登板しただけで5月には退団。メジャー生活は計3年間で通算29試合、1勝1敗2セーブ、防御率5.74という寂しいものだった。メジャー1年目の5月にヒジを故障したことが不運だった。

『週刊ベースボール』2022年4月25日号(4月13日発売)より

文=樋口浩一 写真=Getty Images
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