元南海-大洋の佐藤道郎氏の書籍『酔いどれの鉄腕』がベースボール・マガジン社から発売された。 南海時代は大阪球場を沸かせたクローザーにして、引退後は多くの選手を育て上げた名投手コーチが、恩師・野村克也監督、稲尾和久監督との秘話、現役時代に仲が良かった江本孟紀、門田博光、コーチ時代の落合博満、村田兆治ら、仲間たちと過ごした山あり谷ありのプロ野球人生を語り尽くす一冊だ。 これは不定期で、その内容の一部を掲載していく連載である。 肩がもうボロボロ
『酔いどれの鉄腕』表紙
本の内容をちょい出ししている連載。
今回も大洋時代のラストイヤーだ。生まれて初めて肩を壊して苦しんでいた。
■
肩は相変わらず痛かった。俺は南海時代、いくら投げても肩は壊れなかったし、肩がちょっとおかしいなと思ったときは、我慢して投げ込みをしたら、いつの間にか治った。
だから、このときもシーズンまでに治さなきゃと思って、アリゾナキャンプで思いっきり投げ込みをやったんだけど、それで完全に壊れちゃった。痛いし、肩が上がらない。
このときは、不安というよりは、びっくりしたよ。「ああ、俺の肩も壊れるんだ」って。何となく、「俺の肩は壊れない」と思っていたからね。
俺はいくら投げても肩は平気だったし、オフの間、投げなくても、自主トレでいきなりピュッと投げることができた。エモ(江本孟紀)あたりは、最初はひょろひょろで、キャンプに入ってしばらくして、やっと普通に投げられるようになる。でもね、エモにはよくからかわれた。「ミチは最初からすごいけど、そのままずっと同じやな」って。
このときは水割りのグラスを持っていても、正面を向いているときはいいんだが、誰かに話し掛けられて別の方向に首をひねると、肩がズキンと痛くなって、グラスも持てなくなった。
もう肩はボロボロだったけど、最後の1980年は一、二軍を行ったり来たりしながらなんとか投げていた。イースタンで投げているとき(5月14日)、保土ケ谷球場の
ロッテ戦で、落合博満に特大のホームランを打たれたこともあった。
あの球場はフェンスの向こうに土手があって、さらに不動産屋の看板があったんだけど、その上を越えていったからね。若いやつに「あれ、誰や?」と聞いたら「落合です」「だから落合って誰や?」さ。
あいつはまだ入団2年目だったらしい。「なんであんなやつが二軍におるんや」と言ったのは覚えている。とても二軍にくすぶっている選手とは思えない、いいバッティングをしていたからね。
落合が自分の本で、「プロの一流投手から打ったあの一打は印象深い」と書いてくれたらしいけど、あれだけの大打者にそう言われたら、こっちもうれしいよな。
このときの落合は3ランだったけど、あの年、一軍で、もう1本3ランを打たれた。後楽園の
巨人戦ね(9月6日)。1対8からの敗戦処理の登板だったけど、
王貞治さんにスライダーを3ランされたんだ。結果的には、俺が打たれた最後のホームランになった。王さんも現役最後の年だったし、今思えばいい記念になったよ。