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「100周年が大学3年生で、野球を続けている。奇跡ですね」 名将の孫が中京OB対東邦OBでヒーローに

 

最終学年の新チームでは副将


中京大中京高OBの中京大・杉浦文哉は学校創立100周年記念試合に出場。代打で勝ち越し犠飛を記録した[写真=BBM]


[創立100周年記念 オール中京・オール東邦 野球大会]
11月23日(バンテリンドーム)
中京OB6−3東邦OB

 中京大中京高と東邦高の創立100周年記念行事として11月23日「オール中京・オール東邦 野球大会」がバンテリンドームにて行われた。午前10時から大学・社会人でプレーする卒業生で編成したOBが対戦し、中京OBが6対3で東邦OBを下した。

 中京OBの杉浦藤文氏(故人)は中京大中京高におけるレジェンドである。中京商時代の1959年春に二塁手として甲子園優勝。66年には監督として、春夏連覇へと導いた。中京時代の82年春には2年生エース・野中徹博(元阪急ほか)を擁し、史上初となる甲子園通算100勝を記録した名将だった。

 100周年記念試合で、杉浦氏の孫が試合を決めた。中京OBは1点を追う7回裏無死満塁からの押し出し死球で同点。なおも、満塁で代打に告げられたのは杉浦文哉(中京大3年)だった。「何とか1点。最低限だけを意識していました」。ライトへ打ち上げ、犠飛が勝ち越し点となった。「チームの力になりたかった。貢献できて良かった」。なおも、加藤優翔(立命大2年)の左中間二塁打で2点を加えた。

 杉浦は中京大中京高時代も「代打の切り札」だった。高校入学以降、Bチームでも控えという厳しい立場にいたが、猛練習で2年秋に初めて背番号14でベンチ入り。勝負強い打撃で同秋は公式戦5打数3安打、2打点と信頼を得た。チームは東海大会、明治神宮大会優勝。3年春のセンバツ出場を決めていたが、コロナ禍で中止。夏の甲子園出場をかけた地方大会も中止。センバツ出場校が招待された8月の甲子園交流試合では、七番・右翼で先発出場し、祖父が活躍した聖地の土を踏んだ。

 中京大でも代打で実績を残し、最終学年の新チームでは副将を務める。この日の記念試合には、1歳下の弟・泰文(日体大2年)も途中出場。弟は21年春のセンバツで二番・左翼のレギュラーとして4強進出に貢献した。兄は記念試合の感想をこう語る。

「100周年が大学3年生で、野球を続けている。奇跡ですね」

 杉浦の活躍は、打席だけではなかった。3点をリードした9回表一死三塁。右翼ファウルグラウンドへの飛球を、フェンスに激突しながら好捕。「センターの西村友哉(法大3年)が『行け』と言うので、行ったらグラブに入りました」。ウイニングボールを手にしたのだ。

 中京OBを指揮した半田卓也監督(中京大監督)は言う。

「中京の伝統の中で、藤文先生は功績を残されてきた。孫2人が試合に出て、兄が勝ち越しの犠牲フライ。何かあると思います」

 かつての名将の孫がメモリアルゲームでヒーローとなるのも、やはり、どこかで「野球の神様」が見ていたのかもしれない。

文=岡本朋祐
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