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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム第8回「キャンプの役割は雪かきでした」

 

2年目の春季キャンプにて。手前の背番号9が菱川さん。40が僕で14が谷沢さんです


いじわるな小川さん


 そうだ、一つ、訂正というか、お詫びというか、真実というか……。

 僕のブログ、「ズバリ! 大島くん」のコメント欄に、第5回コラムを読まれた方から「大島さんは5年間、酒もタバコもしなかったんですね」という、ご感想をいただきましたが、すいません、そこまで長く我慢はしていません。最初はマジメにやっていましたが、プロ3年目にドン! ときました(もちろん、成人してからですよ!)。

 僕が突然、はじけちゃった話は、また数号後でさせてください。

 では本編です。前回、豪傑・江藤慎一さんとの1年目のキャンプでの逸話を紹介しましたが、今回は、キャンプ話の続きです。

 入団当時のドラゴンズは、秋季キャンプが静岡・浜松、春季キャンプが一軍は兵庫・明石、二軍は名古屋でした。兵庫県というと、冬はけっこう寒いのでは、と思われるかもしれませんが、明石は瀬戸内海が近く、温暖な場所です。もちろん、いまキャンプの主流となっている宮崎や沖縄とは比べようもないですけどね。

 僕は、一軍経験がなかった1、2年目とも明石の一軍キャンプからスタートでした。別に才能を認められてじゃなく、高卒の若手選手は、だいたい1週間くらい明石でやってから名古屋に帰るパターンでしたね。よく言えば経験を積ませるためなんでしょうが、僕はたぶん、雑用要員だったんじゃないかなと思うんですよ。前回の話のように選手のサインを集めさせたり、あとは雪かきですね。

 当時の冬は、日本中がいまよりずっと寒くて、2月上旬だと、明石でも夜に雪が降ることがあったんです。そうすると、僕ら若手が朝早くから起こされて、「グラウンドの雪かきをしろ!」になる。その後の練習は、半分以上、ランニングとスライディングで、ほとんどバットにもさわれません。

 それでも、キャンプ中に何回かは打撃練習をさせてもらうんですが、どちらかと言えば、投手の調整のためで、ベテラン投手の小川健太郎さんに投げてもらったことがあります。王貞治さん(巨人)相手に背面投げをやった技巧派のアンダースロー投手で、僕が入団した69年に20勝を挙げています(背面投げは説明すると長くなるので省略させていただきます。小川さんは、こちらも話すと長い“黒い霧事件”もあって、翌70年途中に退団されました)。

 この人がまあ、僕ら若手相手にお楽しみになられてというか、「おい、シュートを投げるぞ」と言って、こちらが内角を意識して詰まらないようにと身構えていると・・・

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中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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