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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム第11回「僕が思いついた格言『上司の前ではホラも吹け』」

 

前回70年の記事が僕が一番最初の登場と書きましたが、編集部が再検索した結果、69年ルーキーイヤーのジュニアオールスター(現フレッシュオールスター)の記事を発見!僕は初回代打3ランでホームラン賞をいただきました!


“ダークサイド大島”登場?


「出番だよ!大島くん♪見せ場だよ!大島くん♪」

 文字から音は出ませんので、音符をつけてみました。東海地区のドラゴンズファンの方なら、きっと懐かしく思うんじゃないかな。僕が出ていたローカルCMで、確か1977年くらいから放送されていたと思います。

 僕のブログは「ズバリ!大島くん」というタイトルです。時々、なぜ「大島くん」で「大島さん」とか「大島」じゃないのか聞かれることがありますが、このCMを覚えている方なら、きっと「なるほどな」と思っているんじゃないでしょうか。

 このCMが始まってから、先輩選手の奥さんやファンの方から「大島くん」と呼ばれることが増えて、いつの間にか定着しちゃったんですよ。自慢話のようで嫌なのですが、このCMは僕の勝負強いバッティングを評価していただいての起用だったと思います。けっこう評判も良かったんですよ。

 あ、やや先を急ぎすぎましたね。前回の話は、プロ2年目の1970年、たぶん春先だったと思います。まだ、一軍経験もなく、“何者でもなかった時代”に、僕の頑固さが原因で、事実上の“クビ宣告”を受けてしまいました。

 練習にも試合にも出るなとは言われましたが、当時から家に仕送りもしてましたし、生活がかかっているから、こっちはもう必死です。本多逸郎二軍監督の部屋の前で正座して待って、出てきたときに涙を流しながら謝りました。

 でも、それでも許してくれないんですよねえ・・・

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中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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