週刊ベースボールONLINE

冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム第12回「一軍初出場の試合でいきなりホームラン!」

 

どうですか!いい男でしょ


華麗なるデビュー!


 さて、チラチラほのめかしつつ、ちょっと引っ張ってしまいましたが、いよいよ僕の華麗なる一軍デビューの話にいきましょう!

 ドラゴンズ入団から2年間は、完全に二軍にどっぷり。ただ、くさることなく、“負くっか魂”でひたすら一生懸命やっていました。

 3年目の1971年もやっぱり二軍スタートでしたが、突然、一軍に行けと言われて、6月半ばに昇格です。すべてあとで聞いた話ですが、就任から2年間結果を出せなかった水原茂監督が、思い切った世代交代をしたかったようで、二軍の選手をリストアップし、その中に僕も入っていたようです。前年の70年途中からガンガン打ち出して、この年もファームでは絶好調でしたからね。

 でも、二軍監督の本多逸郎さんは「大島は、あと半年じっくり育てたい。我慢してください」と言っていたようです。「すぐ上げろ!」という水原監督と、かなり激しいケンカになったらしいです。

 僕はまったく知りませんでしたが、当時の『週べ』の記事を見ると、このころ中日の二軍はウエスタンで大独走していて、逆に一軍が最下位。「二軍のほうが強いんじゃないか」とか陰でからかわれて、水原さんはカリカリ来ていたようですね。

 水原さんも勝負をかけていたんでしょう。僕の一軍初出場が6月17日のヤクルト戦(中日)ですが、代打じゃなくて、負傷で欠場したミラーの代わりに、いきなりスタメン一塁で使ってもらったんですよ!びっくりですよね。スタメンを言われたのも当日ですし、緊張というより、何がなんだか分からなかった、という感じです。

 初打席で対戦したのは、アンダースローの会田照夫さんです。試合というより、ベンチに入っていること自体が緊張でした。怖い顔したおっさん、いや、素晴らしい先輩選手が・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング