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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム第22回「稲尾さんのエレベーター事件」

 

ドラゴンズのコーチ時代の稲尾さん[左]。エネルギッシュで楽しい方でした


一番列車出発!


 前回は兄貴の死をきっかけに野球人として本当の第一歩を踏み出した1977年の話をしました。それで翌78年も結果が出たら本物だったんですが、そううまくいかないのが、僕の野球人生です。

 大きなつまずきは、5月24日の広島戦[広島市民]で死球を受け、右手中指を骨折しちゃったことです。ただ、それまでも打率こそ3割前後だったんですが、ホームランがなかなか出ず、自分の中で多少イライラがたまっていた時期でもありました。

 結局、1カ月半ほどの長期離脱になってしまい、最終的には打率.281、15本塁打。98試合の出場で規定打席にも届きませんでした。

 あの年のドラゴンズは、僕以外にも故障者が相次ぎ、チームはボロボロ。中利夫さん(現役時代は俊足巧打の名外野手でした)の監督1年目でしたが、5位と低迷。オフにピート・ローズがいたレッズが来日し、日米野球で2ランを打ったりした思い出もありますが、はっきり言って、悔しいやら情けないやらで終わったシーズンでしたね。

 前号で予告した「大物野球人」は、中さんに呼ばれて、この年から投手コーチとしてドラゴンズのユニフォームを着た・・・

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中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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