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冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!

大島康徳コラム第37回「ミニ扇風機のプレゼント」

 

前回、三振は空振りなら気にしなかった、と書きましたが、悲しそうな顔してますね……


新聞記者と冷戦状態?


 前回は、ホームランキングになった1983年から一足飛びに85年10月2日、通算1000三振の話になりました。この連載は100回が目標ですから(それでいいんですよね、編集長!)、もうちょっとゆっくり進めようと思ったんですが、どうも大バカ、いや宇野勝が絡んだ話になると、ペースが狂うんですよね。

 少しだけ時計の針を戻します。思い出してみると、85年は、僕のプロ野球人生の中で、結構、きつい1年でした。83、84 年と2年連続全試合出場を果たし、2年連続30本塁打以上。84年は全試合四番に座って、チームを引っ張らなきゃという思いも少しですが、出てきました。

 開幕前には、「今年は、もう一度、タイトルを狙います」って言ったらしい。あくまで“らしい”ですよ。覚えてないんだから。当時の『週刊ベースボール』にそう書いてあったから、そうなんでしょう。でも、ふくらはぎやワキ腹を痛めて調子が上がらず、6月には5年ぶりの二軍落ちもありました。

 当時、僕が故障していたという記事はなかったと思います。前も書いたとおり、言い訳が嫌いだから記者には言わなかったし、そもそも夏場以降は、聞かれることもなかったですからね。

 なぜか? 実は当時、ドラゴンズの選手と新聞記者が「冷戦状態」になっていたんですよ。

 きっかけは・・・

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中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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