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【背番号】広島 小窪哲也「1ケタを着けられるのはめったにないチャンスですからね」

 

プロ野球12球団の選手やスタッフに自由に語ってもらうコーナー。今週のお題は「背番号」です。

広島・小窪哲也「1ケタを着けられるのはめったにないチャンスですからね」


1ケタの背番号を着ける責任を感じながらプレーする小窪(写真=高原由佳)


 アマチュア時代はたくさんの背番号を着けてきました。青山学院大学時代には「7」や「8」ももらいましたし、大学日本代表では「1」を背負わせてもらったこともあります。

 プロに入るとき(2008年)に「12」を提示されたときは驚きました。すごく若い番号でしたし、期待していただいているというのをすごく感じました。それから2年後の10年に、今の「4」を提示されたときも本当に驚きました。

「12」がとても気に入っていましたが、プロ野球の世界で1ケタの背番号を着けられることはめったにないチャンスですからね。本当にうれしかったのを今でも覚えています。

巨人・寺内崇幸「原監督から『ずっと一軍にいなくてはいけない番号だ』と言われて」


 入団当初は「69」だったんですが、2年目から今の「00」をいただきました。そのときのことは今でもよく覚えています。

 秋季キャンプの打撃練習中、当時の原辰徳監督に打撃ゲージの裏から「おい寺内! 来年から背番号00番でどうだ?」と声をかけられました。「ずっと一軍にいなくてはいけない番号だ」と言っていただいて、すごくうれしかったし、一軍に定着できるように頑張ろう、と気が引き締まりました。

「00」はシブくてカッコいいイメージです。巨人では屋鋪要さんから始まり(※1994年に初めて背負った)、後藤孝志コーチ、大西崇之コーチや川中基嗣さんが背負われていましたよね。今年で10年目なので、愛着があります。

ヤクルト・山崎晃大朗「いつまでも監督の名前を出されているようではダメ」


 自分はドラフト5位と低い順位での入団だったので、もう少し重たい番号だと思っていました。そうしたら、日大の先輩である真中満監督(の現役時代の)の番号をいただいて。ビックリというか、おそれ多いと思いましたね。プレッシャーとかではないんですけど、下手なことはできないなと(笑)。

 もちろんいい番号ではありますが、「真中二世」などいつまでも監督の名前を出されているようではダメ。「31」を早く自分の番号にしないといけません。

 現役時代、監督は「一番・センター」で活躍されましたが、これは将来的にまさに自分がやりたいところ。ファンのみなさんに少しでも早く名前と一緒に背番号も覚えてもらえるように頑張ります。

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