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【背番号】DeNA 倉本寿彦「琢朗さんのプレーは、本当にカッコよくて……」

 

プロ野球12球団の選手やスタッフに自由に語ってもらうコーナー。今週のお題は「背番号」です。

DeNA・倉本寿彦「琢朗さんのプレーは、本当にカッコよくて……」


石井琢朗が着けていた「5」を背に、同じショートを守る倉本(写真=大泉謙也)


 プロ入りが決まったときに、球団から「空いてるぞ」と言われたのを強く覚えています。返事は早かったです。「ぜひ、5番をつけさせてください!」と。

 僕は神奈川出身で、子どものころからずっと石井琢朗さんが好きでした。横浜スタジアムで見た琢朗さんのプレーは、本当にカッコよくて……。当時からポジションは遊撃手だったし、あこがれの存在でした。

 そんな選手の番号を着けられるので「しっかりやらないといけない」と身が引き締まりました。もちろん、うれしい気持ちも強いです。この番号は手放したくないし、琢朗さんのように「ベイスターズの5番は倉本」と言っていただけるように、日々努力していくしかないと思っています。

阪神・大和「『背番号0は誰や?』と突っ込まれないように」


 実は背番号には全然こだわりがなくて……。昔から現楽天松井稼頭央さんの大ファンだったので、背番号7に対してはカッコいいな、というイメージはありましたけどね。

 プロでは最初に「66」を着けさせてもらいました。同じ数字が並んでなかなかいい番号だったとは思いますが、正直そこまでこだわりはありませんでした。

 ただ、2010年のオフに背番号「0」に変更したときは、多少のプレッシャーは感じていた記憶があります。球団の方から「一軍に定着したんだし、そろそろ番号を1ケタ台にしたらどうだ?」と言っていただいて最終的に「0」になったんですが、「阪神の背番号0って誰や?」と突っ込まれないようにしないといけない、と必死でしたね。

中日・田島慎二「苦楽をともにしている感じです」


 入団したときは「45」でした。最初にもらった番号だし、「田島と言えば『45』」と言われるように頑張ろうと思っていました。そして1年目は56試合に登板できたし、自分の中では縁起の良い番号だと思っていました。

 でも、3年目を迎えるときに「12」への変更が決まりました。とても若い番号だし、期待されているんだなと感じて、うれしかったですね。

 変更して1年目の2014年はプロに入ってから一番苦しいシーズンでした。腕の位置をさらに下げたり、試行錯誤でした。でも、それが今につながっていると思います。「12」とは苦楽をともにしている感じですね。球界全体でも「この番号と言えば田島」と言われるように頑張りたいです。

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