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カルチョの国から

NPB入りを夢見てわずか2週間でオリックス入りを果たした理由とは/元オリックス・マエストリ「カルチョの国から」03

 

2012年から2015年までオリックスでプレーしたアレッサンドロ・マエストリ氏。4年間で96試合に登板して14勝を挙げた右腕は、NPB史上初のイタリア人選手としても知られる。同氏は現在、イタリアで野球用品販売店を経営しながら、3月6、7日に京セラドームで侍ジャパンと対戦する欧州選抜の投手コーチに就任した。カルチョの国で生まれた野球を愛する男が特別連載コラムをお届けする。
インタビュー・訳、写真=浦口雅広

甲子園の阪神戦を観戦して抱いた夢


オリックス合流初日にブルペンに入ったマエストリ氏


 四国ILの香川でプレーするために2012年3月に高松に来て数週間後、浦口雅広氏から連絡を受けました。彼は数年前までイタリア・セリエAでプレーをしており、実際に何度か試合で対戦するなど旧知の仲でした。 彼は住んでいた神戸から何度も高松まで駆けつけてくれて、私を含め、外国人選手たちを夕食に連れて行ってくれるなど、われわれに対するさまざまなサポートを行ってくれました。

 ある休日に、彼は甲子園球場での阪神タイガースの観戦チケットも取ってくれました。私たちは高松から人生初のNPB観戦を体験しに行くことになりましたが、スタンドの雰囲気や熱気に興奮するのと同時に、野球選手である以上、いつかこんな素晴らしい場所で投げてみたいという夢を抱くようになりました。

 私の夢を聞いた浦口氏が、当時オリックス・バファローズ二軍監督を務めていた弓岡敬二郎氏にその日のうちに相談し、2週間後に神戸サブ球場で香川とオリックス二軍の試合が決まりました。

 当時私は香川でクローザーの役割だったのですが、西田真二監督から「弓岡監督がお前を見たいというので、この試合は先発で3イニングほど投げるぞ」と聞き、話の展開の早さに本当に驚きました!  

 その試合では日本で初めての先発起用と、二軍とはいえNPBの打者への投球に少し緊張したものの、振り返ってみればとても楽しく、気力・体力ともにいつもより充実していました。どのような評価をされようが、まったく後悔がないほど、良いパフォーマンスが見せられたと思っています。

濃厚で目まぐるしい時間


 翌日が休日だったため浦口氏に神戸の美しい街並みや、私が世界一きれいな野球場だと思う、ほっともっとフィールド神戸などを初めて案内してもらっている最中、弓岡監督から浦口氏に電話連絡が入りました。 日本語が理解できない私でも、その会話の雰囲気で、何か良い内容であることは分かりました。

 夕食に合流した弓岡監督から、昨日の試合内容を聞いた村山良雄球団本部長が早々に「契約しよう」と決定してくれた、と正式にうかがいました。驚きの連続ですが、こうしてNPB入りを夢見てから、2週間ほどでそれが現実のものとなったのです!!

 7月4日、ついにオリックス・バファローズと正式に契約合意に至り、私は晴れてNPBプレーヤーの一員になれました。 7月13日からチームに合流することになりましたが、3月末に高松に来て、やっと日本の生活にも慣れてきた3カ月半後に今度はNPB入りの夢が実現する……。 今思えば夢の中で見る夢のような、自分の人生が一気に好転する、濃厚で目まぐるしい時間だったと思います!

 最後に、入団が決まると同時に弓岡監督がデサントのチーム担当・田中勇吾氏にお願いして、何から何まで野球用具をそろえてくれたのですが、入団が急展開すぎて用具の慣らしが間に合わず、一軍での数試合も(当時話題になった)『台湾で買った5000円のグラブ』を使い続けるしかありませんでした!!(本当は1万5000円くらいはしたんです!)

PROFILE
アレッサンドロ・マエストリ●1985年6月1日生まれ。イタリア出身。2005年に開催されたMLBヨーロッパアカデミーの1期生。06年の第1回WBCのイタリア代表に選出され、その後カブスと契約。4年間のマイナー生活を送るも2Aで終わる。アメリカ独立リーグ、オーストラリア、四国ILの香川を経て2012年途中にオリックス入団。NPB史上初のイタリア生まれ、イタリア育ちの選手の誕生となった。オリックスには15年まで在籍。NPB通算96試合登板、14勝11敗1セーブ2ホールド、防御率3.44。16年以降は韓国、BCリーグの群馬などでプレー。2020年に現役引退。3月に「カーネクスト侍ジャパンシリーズ2024」で侍ジャパンと対戦する欧州選抜の投手コーチを務める。

■マエストリ氏のインスタグラムはコチラから!

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