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【心揺さぶる名言】広瀬哲朗「ビールかけのときは俺が主役だからな」

 


 ドラフト1位で本田技研から日本ハム入りしたときから、そのキャラクターは注目を集めており、ルーキーながら宴席で酒も飲まずにカラオケを披露した陽気な性格で、チームの宴会部長となるのに時間はかからなかった。本業では打撃面でプロの壁に苦しんだが、8年目の1993年にようやくレギュラー定着。大沢啓二監督から「日本ハムは暗いチームと言われている。明るいチームにしてくれないか」と要請を受け主将に就任すると、独特のべらんめえ口調で若手を叱咤し、自らもガッツあふれるプレーでチームをけん引。2年連続で球宴に出場し、ゴールデングラブ賞、ベストナインも続けて受賞。一躍、チームの顔となった。

 現役最終年となった98年は、キャンプ中に故障し開幕から二軍暮らしが続いたが、優勝を争うチームの士気を高めるためにと終盤から一軍帯同。ベンチには入れなかったが、試合前の練習などでリーダーシップを発揮していた。 首位と0.5ゲーム差で10試合を残した9月23日に引退表明。「自分は技術よりもハートでやってきた人間。その気力に限界を感じてしまった」と理由を明かしつつ、最後に広瀬らしい一言。

「優勝しないでは終われないよ。ビールかけのときは俺が主役だからな」

 結局、その年は2位で、広瀬は一度も優勝を経験することなくユニフォームを脱いだ。その後、チームが栄冠を手にするのは北海道移転後の2006年まで待たなければならなかったが、低迷期を支えたファイターの魂は北の大地にきっと受け継がれている。

写真=BBM

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