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籾山幸徳第二の人生

 

4年間の育成時代、4度のケガに苦しんだ。ケガから復帰しこれからというときに限り、起こる骨折などのケガ。それでも支配下登録をめざし、真っすぐ前を向きリハビリに励む日々を送った籾山幸徳。引退後巨人のアカデミーを経て、2014年7月にヘッドハンティングされ、プレデンシャル生命保険株式会社に入社した。ここで新しい夢を見つけ、プロのライフプランナーとして歩みだしている。
取材・文=椎屋博幸、写真=BBM

度重なるケガに見舞われたファーストキャリア




 宝石のように磨けば、磨くほど輝く存在になれる男だ。籾山幸徳は野球にまい進していたときと同じ気持ちを、今、お客様に向けている。

「私が大阪東支社の営業所長になって、ヘッドハンティングする立場になったとき、顧客として付き合いがあった籾山と一緒に仕事をしてみたいな、と思ったんです。彼は『気持ちのいい』男。物おじせず人と接せる性格でもある。そこで私の夢を語り、もう一度、(この世界の)プロとして新しい道を歩き成功しないか、と語ったら、号泣したんです。『プロになりたい……』と」とプルデンシャル生命保険大阪東支社、第二営業所長の生駒剛志氏は、こう語ってくれた。

 4年間、巨人育成選手で支配下登録を目指していた。しかし、1年目は右肩の血行障害、2年目からは毎年骨折という日々を送った。支配下登録をされるために、努力を重ね、全力でプレーした結果の故障ではあったが、それに腐ることはなかった。リハビリばかりが続く中で、トレーニング室がいつしか籾山の居場所になってしまっていたが、大先輩の豊田清(現一軍投手コーチ)のトレーニングや練習をする姿に刺激を受けた。そして「二軍でうだうだ言っているヤツは、どこに行っても変わらない」という言葉が胸に刺さった。その言葉を受け、やるだけのことはしっかりやろう、と前を向くことを再確認。まずはケガからの復帰を目指しリハビリに励んだ。

 しかし、ケガも癒えた4年目……フューチャーズの試合の9回の打席で死球……またもや骨折と判明。このときに神様が「もう終わり」と言っていると悟った。そして、意を決し、現役最後の打席に立つためのリハビリが始まった。最後はアマチュア交流戦の試合で出場を果たし、その年の10月、戦力外宣告を受け、現役を引退した。

 引退後は、球団職員として残ることになったが、仕事内容は、ジャイアンツアカデミーという子どもたちに野球を教える部署だった。「ユニフォームが着られるし、将来はマネジャーとして現場に残れるかもしれない」と思いながら、子どもに教えることは楽しかった。しかし、将来への一抹の不安があったのも事実だった。

 アカデミー指導の1年半が終わったとき、フランチャイズ展開をするためにマネジャーになるように言われた。責任のある仕事であっても、将来を考えたときに、「本当にこのままでいいのか」という迷いが再度生じた。そのときに、生駒氏から声をかけられ新宿で会った。これが運命の別れ道だったのだ・・・

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