清原和博が“堕ちた”のはなぜなのか。歴代5位の525本塁打を放ったスラッガーと間近で接してきた野球人、彼を愛した著名人の証言から探っていく短期集中連載。まず、第1回目は清原が新人時代からコーチとして長らく指導を続けた伊原春樹氏。果たして、清原の再生はあるのか―― コーチとして西武時代、とにかく厳しく指導
キヨとは彼が1986年
西武に入団して97年、
巨人へFA移籍するまでの11年間コーチと選手という関係で接してきた。確かに高校時代からスーパースターでチヤホヤされ、プロに入った当初は甘い考えがあったかもしれない。しかし、言うことはきちんと聞いてくれる。8度のリーグ優勝、6度の日本一を飾った黄金時代の西武で、キヨはチームのため、自分のために四番として野球にまい進してくれたのは間違いない。1年目から31本塁打する長打力はもちろん、時に右打ちに徹するなど、常勝チームの中心打者として申し分ない成績を残したのは読者の皆さんもあらためて言うまでもなくお分かりのことだろう。
ドラフトで希望していた巨人に指名されずに、悔し涙を流したキヨ。だが、2年目の87年に日本シリーズでその巨人と対戦し、日本一目前にグラウンド上で、また涙がキヨの頬を伝った。想像だが、巨人をやっつけたことで、キヨの心の中で巨人に対するわだかまりもなくなったと思う。変な気持ちを抱くことなく、西武時代はとにかく野球に一途でいてくれたはずだ。
西武時代はチームのため、自分のために野球に邁進した清原/写真=BBM
コーチとしての私の役割は、キヨが勝利のためにプレーするように、グラウンド内で野球人として正しい方向へ進むように指導することだった。私には「指導者は嫌われて当たり前だ」という信念がある・・・
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