1978年に
ヤクルトを、82、83年に
西武を日本一に導いた名将・
広岡達朗の代名詞といえば「管理野球」。基礎プレーの反復や、酒・タバコ・麻雀の規制にはじまる生活態度の改善、自然食の導入など、徹底した選手管理で弱小球団を立て直した。
グラウンドの内外を問わぬ厳しい指導から、広岡には常に冷徹なイメージがつきまとったが、それは少なからず誤解をはらんだものだった。西武監督時代、「管理野球」という言葉だけが独り歩きする状況にあって広岡は次のように語っている。
「僕は管理をしたんじゃない。ルールを教えたんです。車を運転するときは交通ルールを身につける。信号が赤になったら止まる。黄色は注意信号、青はゴー。野球をやるならば、きちんとするべきことをした方がいいじゃないですか」
根本にあったのは・・・
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