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野村克也の本格野球論

野村克也が語る「時代と年齢」

 

監督は年齢にかかわらず選手を適材適所で使うべき


今季限りで引退して、来季は監督専任となる中日の谷繁。監督一本となれば、的確なさい配が下せるだろう[写真=高塩隆]



 毎年この時期になると、引退報道が相次ぐ。

 人間、絶対に勝てないものが2つあるという。それは、時代と年齢。確かにどちらもそうだ。

 前にも書いたとおり、私は「二塁にボールが届かなくなる」ことを引退の判断基準にしていた。年齢とともに、二塁へ投げる球の勢いは衰えてくる。それを何でカバーするかといったら、モーションしかない。セカンド、ショートがダブルプレーを取るとき、プッと速く投げるあの感覚。あれをつかみたくて、よく内野手に交じってダブルプレーの練習をしたものだ。

 バッティングに関しては、38歳ぐらいのころ、自分の感覚としては頭に残っている、打てる球が打てなくなり始めた。特に内角はスイングスピードが要求されるため、それが遅くなる分だけ食い込まれてしまう。つまり、内角球がバットの根っこに当たり出す。「このままではもう、難しいかな」と感じた。

 当然、相手にも「野村は内角に弱い」と分かってくる。そのころからバットを短く持つようになり、現役最後の方は、完全に一握り開けていた。あの王(貞治)さえ、晩年はグリップエンドを開けていたほどだ。

 体力的な面では、若いころより疲れやすいとか、そんなふうに感じたことはなかった。しかし、スピードとパワーは、走るにしてもなんにしても衰える。そこだけはもはやどうしようもなく、技術や経験でカバーするにも限界があった。

 とはいえ、自分に取って代わろうとする若手の足音を、すぐ背後に感じていたわけでもなかった。とりわけ南海時代は、まったくライバルの存在を感じなかった。ただロッテ西武に移籍してからは、ライバルというよりも監督との闘いに明け暮れた。両監督とも失礼ながら、お世辞にも名監督とは評価されていない。その監督の下でプレーするのはいかに不幸か、身に染みた。同じ年齢でも、選手としてできること、できないことには個人差がある。それを、先の両監督は年齢だけで判断した。

「42歳?ああ、もうダメだ」と。

 私は監督として、常に“適材適所”の選手起用を心がけていたつもりだ。その4文字なくしてベテランを退けたこともないし、あえて若手を使ったこともない。ベンチに入っている25人の選手をいかにうまく、適材適所で使っていくか。もちろん・・・

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勝負と人間洞察に長けた名将・野村克也の連載コラム。独自の視点から球界への提言を語る。

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