4球団目となる中日ドラゴンズのユニフォームに着替えて、10年目のシーズンに突入した。ロッテから戦力外通告を受けたのが昨年10月3日。そして中日との契約が決まったのが11月20日。小柄な体を目いっぱい駆使して躍動する“全力の男”が、プロ野球人生の中で最も長く、濃密に感じられた49日間を振り返る。 時の流れの感じ方は人それぞれだ。自身のサインの脇に新たな背番号である「62」と書いたとき、「大きくなりましたね」とつぶやいた。これまでのプロ9年間を「あっという間」と振り返った
工藤隆人。早過ぎるくらい、早いと。ならば、昨秋の「49日間」は、どれだけの長さを感じたのか。
「昨シーズンは一度も一軍に上がれなかったので、覚悟はしていました。戦力外通告を受けたときは『やっぱりそうだよな』と。ロッテには何も貢献できなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
05年に
日本ハムで「背番号53」を背負い、プロ生活をスタートさせた。その後、
巨人で「35」から「0」となり、ロッテでは「3」から「25」。そして4球団目となる中日では最も大きな数字を背負うことになった。トレードの連続だったが、前向きにとらえてきた。
「トレードはほかのチームが必要としてくれている“証し”。やってやるという気持ちは大きいです」
ただ、今回受けたのは戦力外通告。自分が必要ないという“証し”だった。それが近づく足音は、自分自身がよく認識していた。
「現役を続けるか続けないか、五分五分の状況。やはり全力でパフォーマンスができなくなったら自分で身を引かなくてはいけない。その覚悟はずっとありました」
昨季は春季キャンプからオープン戦にかけて、ずっと二軍だった。アピールしなければいけないのだが、それでも「俺、何やってるんだろうな」と思ってしまう自分がいた。「中途半端でモヤモヤして、イライラして……」。心と体がバラバラになっていた。
「コンディションが悪かったので、(辞める)覚悟は決めていたんですけど、終盤にかけて徐々にコンディションが上がってきて。もしかしたらできるのでは……という気持ちもあった。だから『トライアウトを受けるか?』と聞かれたときに『ちょっと考えさせてください』と伝えたんです」
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