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オリックス・カラバイヨ

 

心、体、そして技術――。まさしくひと回り大きくなって4年ぶりにオリックスに戻ってきた。だが、シーズン序盤の活躍から一転、またも苦境に立たされている。それでも、不撓不屈の精神を培ってきたこの助っ人の信念が揺らぐことはない。
文=喜瀬雅則[産経新聞社]、写真=佐藤真一

巡ってきたチャンス


 俺は、絶対にあきらめない。この場所に、きっと戻って来る。

 フランシスコ・カラバイヨは、その『不変の思い』を分厚い胸の奥に、ずっと秘め続けてきた。

「前の2年、すごく悔いが残っていたんだ。もう一回、NPBでプレーするチャンスが欲しかったんだ」

 4年ぶりとなるオリックスへの復帰は、主砲のトニ・ブランコの不測の事態に備えるバックアップとしての役割。2月の宮崎キャンプでのテストを経ての再入団だった。


テスト生として参加した今春キャンプでは背番号のないユニフォームを着用[写真左]。豪快な打棒でアピールを続け、2月16日に入団すると、7月23日まで38試合で四番に座り、チームトップの12本塁打を放っている



 その“カムバックの舞台”は、意外にも早く訪れた。今季12試合目の4月9日、本拠地・京セラドーム。その8日前にブランコが左ヒザ痛で出場選手登録を抹消。さらに同8日の試合中にエステバン・ヘルマンが右太もも裏の肉離れと、助っ人2人が相次いで戦線離脱。ウエスタン・リーグで打率.321、しかも同8日に1試合2本塁打と調子を上げていたカラバイヨに、絶好のタイミングでチャンスが巡って来た。

 3回、第2打席、二死無走者。

 カウント1ボール1ストライクからの3球目。ロッテ先発のチェン・グァンユウは台湾出身の左腕。踏み出した右足が一塁側にクロスステップしてくるため、右打者の懐へ鋭く食い込んでくるストレートはやっかいだ。その137キロを、カラバイヨは簡単にはじき返した。打球は高い放物線を描くと、京セラドームの左翼5階の最上段席へ。そのパワーに、ドーム中がどよめいた。心も、体も、そして技術も、まさしくひと回り、スケールアップしたカラバイヨが、そこにいた。

夢をつかむも…


一軍昇格、即スタメン出場となった4月9日のロッテ戦[京セラドーム]で、1本塁打2打点をマーク。4年前からスケールアップした姿をファンに見せつけた



 来日は6年前。メジャー経験はもちろんない。アメリカの独立リーグを渡り歩いた“ジャーニーマン”は、2009年に日本の独立リーグ、四国アイランドリーグプラス(以後四国IL)の高知に入団。プレーの『場』はある。ただ、外国人選手とはいえ、ほかの日本人の独立リーガーと変わらない月給10万円前後の低サラリー。コンビニエンスストアでおにぎりを買い、試合前に腹ごしらえ。試合前のミーティングも日本語オンリーで通訳すらいない。

「最初、何を言っているのか、まったく分からなかった。毎日、頭が痛くなっちゃったよ」

 それでも、地域密着の球団経営の方針のもと、カラバイヨは県内の各市町村のイベントや野球教室に、ほかの日本人選手とともに積極的に参加した。覚え立ての日本語で、積極的に話しかける陽気なベネズエラ人はすっかり高知の人気者となり、半年も経たずに、ミーティングの日本語も理解できるようになった。近鉄、オリックス時代のタフィ・ローズ(現ルートインBCリーグ富山)も日本語でのコミュニケーション力は相当で、自らの用具には「狼主」(ローズ)と記していたほどだが、ローズとカラバイヨの2人をよく知るオリックス・藤田義隆チーフ通訳は「ローズも日本語がうまかったですけど、カラバイヨの方が間違いなく上。彼を見ていると、語学を習得していく過程が、よく分かりますよ」という。

 あるインタビューで「4年ぶりのオリックス復帰ですが?」と日本語で尋ねられたところ、カラバイヨは藤田の方を向き「フッキって?」。藤田が「戻って来た」という意味だと説明すると、カラバイヨはうなずき、即座に日本語で返答したという・・・

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