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西暦の末尾に5がつく年は巨人は優勝できない!?

 

セ・リーグで4連覇を目指す巨人だが、黒田が復帰した広島の台頭も目覚ましい。それでなくても今年の巨人は、末尾に5のつく年には優勝できないというジンクスと戦わなくてはならない。末尾に5のつく西暦年号の巨人は1965年(V9スタート年)を最後に、75、85、95、2005年と、もう4度も続けて優勝を逃している。

最初は順風満帆も75年から勝てなくなる


 末尾に5のつく最初のシーズンは1955年である。前年、中日杉下茂1人に11勝を許して4連覇を逸した巨人だが、55年は4月5日の開幕戦から国鉄1、2戦に別所毅彦大友工の連続完投もあって2連勝でスタート。その後、一時2、3位に落ちたが、5月1日の阪神とのダブルヘッダーに連勝して開幕から21試合目に首位に返り咲くと、最後までその座を守り切った。92勝37敗1分けは53年の87勝を更新する球団最多勝記録。2位の中日に15ゲームの大差をつけるぶっちぎりの優勝であった。

 投げては大友工が30勝して最多勝投手で、防御率6位であれば、別所毅彦が防御率1.33で第1位。安原達佳も防御率5位。防御率10傑のうちに巨人勢が3人。打っては首位打者の川上哲治以下、10傑内に巨人から3人だ。

 次の65年も4月10日の開幕から2連勝していたが、それから5連敗。一時は首位に4.5ゲーム差をつけられ、5位にまで落ちた。5月24日から7連勝することで6月2日には首位に立つ。次第に2位との差を広げ、最後は2位の中日に13ゲーム差をつけて優勝だ。

 投手10傑には防御率1.84で1位の金田正一以下、巨人から3人なら打撃10傑にも巨人勢が3人。末尾5のつく年のジンクスなど、まだ影も形もない巨人であった。この年からあのV9が達成された。

 ここまで末尾に5のつくシーズンは順風満帆であったが、3度目の75年は球団史上ワーストのシーズンとなる。

 74年に1厘差でV10を逸した巨人は川上監督が退陣し、長嶋茂雄が新監督に就任したが、結果は開幕から2連敗のスタート。1勝4敗1分けで開幕から6試合で最下位に転落。以後、浮上できないまま、球団史上初の最下位で終わった。

 チーム得点は前年の589点から473点と減少し、失点は460点から510点と増加。長嶋新監督の悲劇は、長嶋のいない巨人を指揮しなければならなかったことであろう。

 チーム打率は前年の.253から.236、本塁打も159本から117本に低下した。

 打線もさることながら、前年は関本四十四(防御率2.28で1位)、小林繁(2.42で3位)、堀内恒夫(2.66で4位)と、10傑内に3人を送り込んでいた投手10傑に、75年にはゼロだったことだ。18位に横山忠夫(3.41)、22位に堀内(3.79)である。投手陣の崩壊が、球団史上初の最下位を招いていた。



 それ以後、巨人は西暦で末尾が5のつく年に一度も優勝はできないままである。

大きなカギを握る開幕戦での勝敗


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 75年は巨人が史上初めて最下位に転落した年である。この年はスタートと同時に激動に見舞われた。開幕の19試合に4勝12敗3分けで最下位に定着すると、その後は1度も浮上でないままシーズンの閉幕を迎えた。巨人にとっては、球団史上初の最下位であった。

 V9時代の巨人は純血主義を唱え外国人選手を排除していたが、開幕して負け続けると、純血ともいっていられない。75年の4月26日にデービー・ジョンソンを補強した。デビュー戦は4の0であったが、2試合目の4月27日のヤクルト戦で9回裏にサヨナラ本塁打を放ち、長嶋巨人は開幕から15試合目で初めて連勝を記録した。

 メジャー歴11年のジョンソンであったが、終わってみれば91試合で打率.197で13本塁打、38打点。期待を裏切った理由の1つは、ジョンソンに長嶋が抜けた三塁を守らせたことだ。メジャーで1290試合に出場していたジョンソンだが、三塁を守ったのは12試合。ほとんどは二塁で、73年には二塁手の最多本塁打43本を放っていたジョンソンも、不慣れな三塁では本領発揮とはいかなかった。

 チーム打率は6位であり、防御率も5位と投打に振るわなくては球団初の最下位も仕方ない。

 85年も開幕から6試合で1勝5敗とスタートにつまずいた。5月8日から12日にかけて首位に浮上したが、13日には転落。8月21日に首位に返り咲いたものの1日しか守り切れない。24日に返り咲いたが、今度も27日に2位に落ちると再び1位に返り咲くことなく、最後は阪神に12ゲーム差をつけられ3位だった。

 95年は斎藤雅樹が開幕のヤクルト戦に完封勝ちしてスタートを飾ったが、この日が同年最初で最後の首位に立った日。2連敗してから1勝したものの、そこから4連敗。4月15日には最下位に転落。再び首位に戻ることはなかった。

 最後は首位ヤクルトに10ゲーム差をつけられ3位。エース斎藤雅樹が18勝したが、ほかに2ケタ勝利は11勝8敗の槙原寛己ひとり。3割打者も・311の落合博満ひとりと、迫力を欠く戦力であった。

 05年も巨人は開幕から4連敗。一度も首位に立つことなく、首位の阪神に25・5ゲームの大差をつけられ、勝率・437で5位。この勝率は最下位に落ちた75年の・382の75年に次ぐ低い勝率だ。こう見てくると75年以来、西暦年号で末尾に5のつくシーズンに、4度続けて優勝を逸している巨人には共通点がある。スタートでつまずき、最後は首位に大差をつけられていることだ。

 開幕から10試合目までの成績をあらためて振り返ってみる。

▽75年 ●●△○●●●○△●
首位広島に27ゲーム差で最下位

▽85年 ●○●●●●○●●○
首位阪神に12ゲーム差で3位

▽95年 ○●●○●●●●●○
首位ヤクルトに10ゲーム差で3位

▽05年 ●●●●○●○○●●
首位阪神に25.5ゲーム差で5位

 今シーズンの開幕戦は3月27日。巨人は東京ドームでDeNAと対決するが、ここで勝たないと、末尾5の年のジンクスを解消できない危険性もある。

奇妙な法則を断ってリーグ4連覇なるか


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 末尾5の西暦年号の巨人は通算425勝358敗24分けで.543である。



 この勝率はセ・リーグでトップではあるが、突出しているわけではない。他球団の末尾5の年の成績はこうである。

▽阪神=417勝365敗24分.533
▽中日=408勝371敗27分.524
▽広島=389勝391敗27分.499
▽ヤクルト=357勝421敗28分.459
▽DeNA=342勝433敗31分.441

 末尾5のシーズンに限った巨人の勝率は.543で、阪神の.533と中日の.524と大差はない。セ・リーグの05年以来、最近10年間の通算勝率は依然として巨人が1位で、優勝回数も6度である。ほかに優勝しているのは中日が3度、阪神が1度である。



 最下位はDeNAが6度、ヤクルトが3度で広島が1度。巨人、中日、阪神の3球団は、この10年間で最下位を知らない。

 巨人にとっては大きな意味を持つ2015年シーズンだが、現役選手で10年前の巨人でプレーしているのはごく少ない。

 野手では阿部(05年は.300で26本)、高橋由(.298、17本)、矢野(.281、7本)、鈴木(.303、1本)、亀井(.143、0本)と加藤健(所属するが不出場)の6人。投手では久保(7勝4敗)、内海(4勝9敗)、西村(2勝4敗)で、全部で9人しかいない。今年こそ優勝して末尾5の年の奇妙なジンクスを断つことができるか。
記録の手帳

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プロ野球アナリスト千葉功によるコラム。様々な数値から野球の面白さを解説。

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