1936年の球団創立から、リーグ優勝はわずか9回しかない。だからこそ強烈な思い出として、ファンの脳裏に刻まれている。 写真=BBM 1954(昭和29年)

中央で手を挙げているのが西沢道夫、その左が杉下。日本一を決めて
天地俊一監督の下、球団創設19年目にして悲願の初優勝。全球団に勝ち越し、2位
巨人に5.5差の完勝。日本シリーズでも西鉄を4勝3敗で下して日本一。シーズン&シリーズMVPはともにエースの
杉下茂が受賞した。
1974(昭和49年)

胴上げされる与那嶺監督。打倒・巨人を20年ぶりに成し遂げた
“ウォーリー"こと
与那嶺要の監督就任3年目、巨人のV10を阻止して2度目の頂点に。投の柱は胴上げ投手の
星野仙一、20勝で最多勝の
松本幸行、打線は新助っ人の
ジーン・マーチンが四番に座って35本塁打&87打点。名古屋が揺れた。
1982(昭和57年)
9度の優勝の中で最も劇的でドラマチックなV。勝てば優勝、負ければ巨人が優勝となる大洋との最終戦を8対0で制した。
近藤貞雄監督が“野武士野球”で選手を縛りつけることなく、のびのびとプレーさせ、それに選手が応えた。
1988(昭和63年)

41歳の若き熱血監督がナゴヤ球場で宙を舞った
盤石の守護神・
郭源治が躍動し、移籍2年目の
落合博満、高卒ルーキーの
立浪和義らが打線に名を連ね、後半戦から勝利を重ねて独走。ぬるま湯からのチーム改革を目指した就任2年目の星野仙一監督の執念が結実した。
1999(平成11年)

優勝を決めたのは神宮。ベンチから全員が一斉に飛び出した
開幕11連勝とこれ以上ないスタートダッシュに成功。6月には
阪神に首位を譲ったが、自慢の投手陣を惜しみなく注ぎ込む継投策で11年ぶり5度目のV。ナゴヤドームが誕生して3年目、守り勝つ野球が浸透。
2004(平成16年)

1年目から“オレ流”モード全開で優勝を決めた落合監督
落合博満監督の就任1年目。「現有戦力を10%底上げすれば優勝できる」と公言したとおりの結果に。
川上憲伸、
山本昌、
ドミンゴ・グスマンの三本柱で40勝。ゴールデン・グラブ賞に6人が選出された守りのV。
2006(平成18年)

落合監督8年間で最多の87勝。東京ドームで優勝決定
投打ともに球団史上最高と言われる充実の布陣。本塁打王と打点王に
タイロン・ウッズ、首位打者に
福留孝介、最多勝&最多奪三振の川上憲伸、最多セーブには
岩瀬仁紀。優勝が決まった試合で満塁弾を放ったウッズと落合博満監督が抱き合うシーンは語り草(写真)。
2007(平成19年)[リーグ2位]
リーグ2位からCSで阪神、巨人を下し、日本シリーズでは
日本ハムを4勝1敗で下して53年ぶり2度目の日本一。第5戦の
山井大介-岩瀬仁紀の完全リレーによる日本一は議論を呼んだ。
2010(平成22年)

阪神が敗れて4年ぶりの優勝が決まる。ペナントを持って場内一周
ホームゲームに53勝18敗1分けと圧倒的な強さを誇り、阪神、巨人との三つどもえの戦いを制した。チーム防御率と19試合完封勝利はリーグトップ。
森野将彦-
トニ・ブランコ-
和田一浩のクリーンアップで少ないチャンスをものした。
2011(平成23年)
8月に5位まで順位を落としたが、落合博満監督の退任発表が奮起となったか、後半に猛追の逆転優勝。球団初となる連覇を飾った。
吉見一起&
チェン・ウェイン&
マキシモ・ネルソンが三本柱、
浅尾拓也が中継ぎ投手として初のMVPに輝いた。