2024年、ポストシーズンで光り輝いた。この短期決戦のためではないがこの時のために準備をしてきた。チームを勝利に導くために35歳のベテランは今日も万全の準備を整えていく。 文=石塚隆(スポーツライター) 写真=大賀章好 神様は見ている
いつ抜くか分からない刀を、ただただ研ぎ続ける──。
横浜DeNAベイスターズの戸柱恭孝は、それを自分に課した業として日々繰り返している。徒労に終わるかもしれない。報われないかもしれない。けれども心の中にいる自分を見つめ、今日も必死に汗をかく。
「一昨年のオフに僕は球団から4年契約を提示されました。レギュラーでもないキャッチャーに対して、こんな長期契約を提示してくれるなんて……。そのときに誓ったんです。これまで以上に、自分がどういう状況であろうとチームのために何ができるのかを考え、行動しようって。常に自分の刀を研ぎ続けるんだって」 昨季はファームからのスタートだったが、4月中旬に一軍に合流した。チームでは絶対的レギュラーとして
山本祐大がマスクをかぶっていた。戸柱は登板を終えた投手たちと積極的に言葉を交わし、ベンチでは率先して声を出してチームのムードを盛り上げた。ホームで試合があれば誰よりも早く横浜スタジアムに訪れ、黙々と練習をしていつ来るか分からない出番に備えていた。チームメート誰もがそんな背中を見ていた。漢気にあふれ“トバさん”の愛称で慕われるベテラン捕手は、チームの精神的支柱だった。
だが、戸柱も人間である。チーム内では気丈に振る舞ってはいたが、家族が待つ自宅へ帰ると背中に現実がのしかかる。子どもたちが寝静まった後、戸柱は妻にため息まじりによくこう言っていた。
「何やってんだろ。俺、野球選手だよな?」 約1カ月、マスクをかぶらないこともあった。いくら我慢強い戸柱であってもアマチュア時代から支えてくれた伴侶には、無意識にこぼすこともあった。そんなとき妻は、体を張って家族を守る戸柱に言った。
「私なんかが言えることじゃないかもしれないけど、絶対にチャンスが巡ってくると信じてやり続けてほしい。何があるか分からない世界だし、家族みんながあなたの味方だから」
心根に染みる言葉。戸柱は振り返る。
「本当、励まされましたね。試合には出られなくても早出して、ベンチで声を出して、これは自分で決めたことだからめげずにやってきたけど、やっぱり家では本音が出てしまう。野球選手である以上、やっぱり試合には出たい。必要とされているという認識を持ちたい。だからすごく我慢しました。子どもたちから『どうして試合に出ないの?』と、無邪気に言われるのが一番きつくて……。ただ、それを逆に力に変えようとしていましたね」 捕手の大事な資質として昔から『我慢』と『忍耐』が挙げられるが、戸柱はプライベートでもその状況を受け入れていた。
そして、ついに研ぎ続けてきた刀が抜かれる日が訪れる。
9月15日に山本が負傷により戦線離脱をすると、代わって戸柱がマスクをかぶることになった。プロ9年目の経験値からなる試合感覚、普段から投手たちとコミュニケーションを取ってきた意思の共有、そしていつでも試合に入れるように磨き上げてきたスキルとフィジカル。戸柱はスムーズにチームにアジャストし、苦しい終盤戦でチームの勝利に貢献し、クライマックスシリーズではMVPを獲得、そして26年ぶりとなる日本一に尽力した・・・
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