荒川の河川敷に位置するヤクルト二軍本拠地・戸田球場。試合日、練習日に球場に出入りする一台の大型バスがある。その運転席に座っているのが今野功さんだ。次代を担うスター候補を乗せて目的地まで安全運転。気づけばこの道も節目の30年を迎えようとしている。幕を開けた新シーズン。運転席には今日も今野さんがいる。 取材・文・写真=小林篤 
今野功[ヤクルト]
選手ファーストの思い
長年にわたるサポートが称えられた。2024年11月26日、東京都内のホテルで行われたプロ野球年間表彰式『NPB AWARDS』。ファーム功労賞にてその名が呼ばれた。「今まで生きてきた中で一番緊張しました」とスポットライトを浴びながら、榊原定征NPBコミッショナーから記念品を受け取った。
25年4月。ヤクルト二軍バス担当として29回目の春を迎えた。普段は埼玉・戸田寮を出発点に、ドラフト1位ルーキーの中村優斗をはじめ寮生10人ほどを乗せてバスを走らせる。二軍本拠地・戸田球場でデーゲームがあれば5時に起床。まずは午前練習のため球場へ送り、昼食のため一度寮へ戻ると、試合開始前に再び選手を球場まで送る。稼働日は年間約250日。イースタン・公式戦では
楽天戦の仙台、オイシックス戦の新潟も寮生を乗せて運転し、遠征先では帯同選手も乗せてホテルと球場間を送迎する。晴れの日も雨の日も、選手ファーストの思いでハンドルを握ってきた。
「なるべくガタガタしないように。あとはバスに乗っている時間を少なくというのは意識します。それはスピードを飛ばすということではなく、例えば渋滞のない道を探す。とにかく選手にストレスを与えないようにということは安全運転の次に考えることですね」
これまで多くの選手を乗せてきた。デビューは1997年春。
野村克也監督の下、球団4度目の日本一を果たした年だ。今野さんは当時30歳。勤務先のバス会社に球団から依頼があったのが始まりだった。突然巡ってきたプロ野球選手を“運ぶ”という業務に「ありきたりですけど、この人テレビで見たことがある。あ、この人もテレビで見たことがある。不思議な感覚でした」と当時を振り返る。すでに一軍で主力投手だった・・・
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