全体を鼓舞する気合の塊

法大に入学する東海大相模高出身の深谷は、2年春のセンバツで優勝を経験している。右投げ右打ちの堅守巧打の遊撃手だ
法大の主将・
今泉颯太(4年・中京大中京高)は新入生の動きに、目を丸くさせた。
「元気のある選手は、加藤重雄監督と
大島公一助監督も好むタイプです。自分から率先して声を出していたのは、魅力だと思います。1年生でもノビノビできる環境を整えたい」
スポーツ推薦で合格した法大の新1年生13人が2月4日、初めて練習に参加した。入寮を3月5日に控え、野球部の雰囲気、練習の流れを知ることが目的で、5日も行われた。
法大の活動拠点である川崎総合グラウンドでひと際目立っていたのが、深谷謙志郎(1年・東海大相模高)だった。今泉とは同じ遊撃手で、ノックを受けた。練習初日でも遠慮なし。いつもどおりのプレー。全体を鼓舞する気合の塊で、自然とムードを作り上げていた。
元気印の原点は高校時代にある。小学6年時にはベイスターズジュニアの一員として、NPBジュニアトーナメント優勝。中学時代にプレーした横浜緑シニアでは、シニア日本代表でプレーし、全米選手権で優勝した。抜群の野球センス、さらに、ガムシャラなプレーに熱視線を送ったのが当時、東海大相模高を率いた門馬敬治監督(現創志学園高監督)だ。
「本気で日本一を目指している監督の姿が見て分かりました。自分も日本一になりたいと思い、相模でプレーしたいと思いました」
全国から有力選手が集まってくる同校。深谷は1年夏からベンチ入りするも、どことなく、行き詰まりを感じていた。1学年上の遊撃手には、大塚瑠晏(東海大2年)がいた。レギュラー奪取へは、あまりにも高い壁だった。
「ヘッドコーチの遠藤愛義さんから、『何か、自分にしかない売りを見つけろ!』と言われまして……。自分にできるのは、腹の底から声を出すこと。もともと元気はあるほうだったかとは思いますが、より考え、言葉を選んで発信するように意識しました」
下級生ではあったが、深谷の存在感は日に日に増していった。2年春のセンバツでは背番号16でベンチ入り。大会期間中、アクシデントが襲う。主将・大塚が急性胃腸炎のため、準々決勝から決勝まで3試合、ベンチを外れた。大阪市内の病院に入院。大塚に代わって、遊撃手に入ったのが2年生・深谷だった。
明豊高(大分)との決勝。2対2の9回裏、先頭打者でセーフティーバントを決めた。好機をつくり、一死満塁からのサヨナラ打で、10年ぶりのセンバツ優勝を決めるホームを踏んだ。遊撃守備でも3試合で無失策だった。
「セーフティーバントですか? 自分にはあれしかないので(苦笑)。神奈川のチームには知られているので、あらかじめ前進してきますが、初対戦の甲子園では警戒していなかったのか、うまく転がせました。仮に負ければ『大塚さんがいなかったから……』と言われるのが嫌だったんです。瑠晏さんの穴を埋めることはできない。少しでも貢献できることはないか、その積み重ねでした」
幼少時から神宮にあこがれ
なぜ、大舞台でも力を出し切れたのか。東海大相模高の鍛え方は、想像を絶する厳しさだ。
「相模のグラウンドでは、門馬監督から『毎日が甲子園決勝のつもりでやれ!』と言われていました。それが、当たり前でしたので、甲子園で甲子園球場を意識することはありませんでした。相模でやってきたことを、そのまま出すだけでしたので……」
強い精神力。深谷は一途な野球選手である。父・篤さんは愛工大名電高の内野手として2年夏、3年春の甲子園出場。法大を経て三菱自動車岡崎でプレーし、1999年からNPB審判員として第一線でジャッジしている。
深谷は父の影響で、幼少時から神宮にあこがれ「法大一本」だった。決定的としたのは、中学3年夏だ。法大とJR東日本のオープン戦を、法大グラウンドで観戦した。父は社会人時代の恩師・堀井哲也監督(1997年から2003年まで三菱自動車岡崎、04年からJR東日本監督、現慶大監督)にあいさつするのが目的だった。そこに、息子が付いていき「ここで、プレーする」と決意を固めたという。
「当時、法政のショートを守っていたのは川口凌さん(現ENEOS)。格好良かったですね。父からは法政で1学年先輩にあたる
稲葉篤紀さん(東京五輪監督、
日本ハムGM)の話もよく聞いていました。人としての魅力がある方だと。だからこそ、野球界に貢献している、と。あこがれの存在である稲葉さんが育った法政大学で学びたいと思いました」
将来の夢は「ミスター社会人」
東海大相模高では2年春以降、甲子園の土を踏むことはできなかったが、充実の時間を過ごした。
「コロナ禍で入学して、活動制限も多い中でしたが、できないことを嘆く時間があるならば、できることを考えたほうがいい、と。中学時代から意識高く取り組んでいたつもりでしたが、野球観が180度変わりました」
名門で磨いてきたスタイルを、あこがれの法大でも落とし込んでいきたいと考えている。深谷は1年生らしく、ハキハキと言った。
「野球の実力ではチームに貢献できないと思いますので、とにかく盛り上げて、雰囲気を作れるようにしていきたい」
幸運にも、主将・今泉と寮での同部屋に決定。チームとしても、期待の表れである。2月4日の練習初日、先輩から声をかけてもらった。
「相模の先輩がいないので不安だったんですが、今泉さんのほうから『よろしく!』と。ありがたかったです。気持ちが楽になりました。ショートで一緒にノックを受けさせてもらい、勉強させてもらうことばかりでした」
追い求める遊撃手像は
宮本慎也(元
ヤクルト)、
井端弘和(元
中日ほか)を挙げ、職人タイプを目指す。将来の夢は「ミスター社会人」。プロで通用する力はないと感じており、社会人野球で1年でも長く、現役選手を全うしたいと考えている。「ミスター社会人と呼ばれる選手は、数えるほどしかいないと聞いています。誰からも認められ、その中に入りたい」。実現する上でも、大事な大学4年間が始まる。
「リーグ優勝、日本一が目標です」
167センチ75キロ。泥臭いプレーで、ムードメーカーとしての資質がある深谷が、法大の空気を変えていきそうな予感が漂っている。
文=岡本朋祐 写真=BBM