プロを目指してプレー
この秋、酒井が不動の「一番・中堅」に復帰すれば、打線に厚みが増す[写真=BBM]
東大からプロ野球に進んだのは過去6人いる。すべて投手であり、野手として初のプロ入りを目指しているのが酒井捷(3年・仙台二高)だ(2023年秋まで指揮した
井手峻前監督は
中日入団後、外野手としてもプレー)。
酒井は昨秋の東京六大学リーグ戦で打率.316をマークし、外野手部門のベストナインを初受賞した。東大からの選出は6年ぶり。計12安打のうち、二塁打5本はリーグトップだった。バットを一握り短く持ち、左打席から鋭いスイングで安打を量産。
阪神・
近本光司のタイミングを参考にしている。不動の一番打者として、東大打線を活気づけていた。試合後の記者会見でも「プロを目指しています。東大野球部を目指す高校生の道標になればいい」と、自覚を持ってプレーしてきた。
昨年12月には大学日本代表候補強化合宿(愛媛・松山)に参加。「レベルの高い環境で過ごした3日間は刺激的でした。プロに入るため、足りない部分が明確になった。もっと野球がうまくなるために、努力していきたいと思える場所でした」。
仙台二高から東大に現役合格。大学卒業後のプロ入りを目指す中で、アスリートとして多くを発信していきたいと考えている[写真=BBM]
酒井は野球人としての覚悟が違う。
2017年秋のリーグ戦、東大は法大から勝ち点を挙げた。原動力となった左腕・
宮台康平(
日本ハム→
ヤクルト)は同年秋のドラフト会議で指名を受けた。寺岡中2年生だった酒井は「東大で野球をやる選択肢もある」と影響を受け、東大志望が芽生えた。神宮で勝負を挑むため、勉強と並行して、野球のスキルアップも着々と準備を進めていた。1年冬には可能性を広げるため、右打席から左打席に転向。秀光中・
伊藤樹(仙台育英高-早大3年)との対戦経験がある。「レベルが違いました」。県選抜で東北大会の出場実績もある。
仙台二高ではモットーである「文武一道」を実践し、現役で東大文科2類に合格。1年秋、慶大とのフレッシュトーナメントで「一番・中堅」で5打数4安打。チームは7回
コールド(16対6)で勝利し、神宮球場で戦える手応えをつかんだ。定位置を獲得した2年春にチームトップの打率.270で、リーグ戦初本塁打も放ち、同秋の飛躍へとつなげた。
「メンタル的に病みました……」
順風満帆だったが、今年2月下旬、鹿児島キャンプでアクシデントが起きた。守備練習中に、左中間の飛球を捕球しようとした際に、味方と交錯しかけ、避けようとした際に不規則な体勢になった。「バキッと音がしました」。MRI検査の結果、右膝前十字じん帯を断裂。手術をする選択肢もあったが、全治10カ月で、春、秋の2シーズンを棒に振ることになる。PRP療法で早期復帰を目指した。
酒井はケガをした当初の状況を振り返る。
「メンタル的に病みました……。(一誠寮の)部屋からも出られない。一番、厳しかったのは、3年間、お世話になった4年生の力になれないということ。先輩、同期、後輩にも一切、会いたくない。引きこもりでした。風呂にも皆が寝静まった朝3時頃に入っていました。ある夜、トイレに行った際に主将・藤田(藤田峻也、4年・岡山大安寺高)さんとたまたま顔を合わせたんです。その場では何も言えず……。涙が止まりませんでした」
松葉づえでの生活が1カ月以上続き、4月になって、ようやく自力歩行が可能になった。
「ずっとギプスで固定していたからか、足が伸びないんです。太ももの筋肉を強化するトレーニングの日々。顔は真っ白。体重は7〜8キロは減少しました。リハビリは正直、孤独できついです。そこでアナリストの内田倖太郎(3年・
広島学院高)に、学生コーチの酒井太幹(3年・筑波大駒場高)が各メニュータイムキーパーなどで付き合ってくれて、励みになりました。自分のために時間を割いてくれて……。感謝してもしきれないです」
チームメートは、神宮で東京六大学春季リーグ戦を戦っていた。スタンドで応援するのは複雑な心境だった。野球部OB、関係者に会えば、激励のメッセージ……。ありがたい言葉ばかりだったが、プレーできないもどかしさが上回った。気が乗らないこともあった。そこで、東大野球部の先輩からこう言われた。
「苦しい気持ちは痛いほど分かるが、周りは皆、酒井の姿を皆が見ているぞ!!」
以降、以前に増して全力で応援した。チームメートの活躍を自分のことのように喜んだ。昨秋の酒井の活躍に刺激を受けた同級生の大原海輝(3年・県浦和高)が、外野手部門で初のベストナインを受賞した。
一時は就職活動にも着手
しかし、再び試練が訪れる。6月にハードワークが原因の横紋筋融解症で、約1週間の入院生活を送った。血液検査で異常な数値が出て、点滴治療などを繰り返した。苦難を乗り越え、退院後は地道にリハビリを重ね、7月末にはオープン戦に出場するまでに回復した。
一時は、就職活動に着手したという。
「プロは無理かな? と……。自分は社会についてあまりにも知らなすぎました。就活を通じて、OB、先輩と接する機会に恵まれ、視野が広がりました。勉強の時間を過ごしたんですが、むしろ、プロに行きたい思いが強くなったんです。『人と同じは嫌だ』という気質がある。右投げ左打ちの外野手となると、圧倒的な打撃、足を見せないといけない。自分の成績よりも、チームの力になりたい」
東大は1998年春から53季連続最下位。酒井は東大野球部を変革したいという思いがある。
「東大は負け犬、負けグセ、一番弱い、と言われる。負けが当たり前になっている。コンフォートゾーン、そこに収束しているんです。今までと同じことをしていたら変わらない。各個人が心地良い環境で野球をやっていたら6位。もっとギラギラしても良いと思います。これまでは学年が変わるたびに、チームカラーも変わっていた。チームとしての仕組みを確立する必要性を感じています。昨年の主将・梅林さん(浩大)はその部分を痛切に訴え、実際に動きました。今年の主将・藤田さんもその思いを継ぎ、来年は自分たちの代になりますが、東大が勝てる文化を植え付けたい。東大野球部での時間を大切にして、後輩たちに何かを残していきたいと考えています」
故障はつらく、本当に長かった。その分、考える時間が増えた酒井は、人として大きく成長した。心が充実し、完全復活を目指す今秋は、野球への熱き思いが、プレーにも出るはず。東大の安打製造機・酒井の一挙手一投足から目が離せない。
文=岡本朋祐