高卒3年目の剛腕

育成3年目を迎えた田村
この育成右腕の名前を覚えておいたほうがいいだろう。
巨人の高卒育成3年目・
田村朋輝が支配下昇格に向け、順調に階段を駆け上がっている。
昨年まで三軍が主戦場だったが、今年の春季キャンプは初の二軍スタートに。状態の良さを首脳陣に評価され、2月11日の紅白戦で紅組の九番手として9回にマウンドに上がると、
秋広優人に150キロ直球を右前に運ばれるなど一死一、二塁のピンチを迎えたが、佐々木俊輔をフォーク、同期入団の
浅野翔吾をカットボールで連続三振に仕留めて無失点に切り抜けた。
今季初の対外試合登板となった2月24日の二軍練習試合・韓国/斗山戦(サンマリン宮崎)でもクリーンアップを三者連続三振に仕留めるなど、2回1安打4奪三振無失点。力強い直球に加え、カットボール、カーブ、フォークなど変化球で三振の山を築いた。
昨年は三軍で30試合登板し、2勝2敗、防御率2.16をマーク。41回2/3を投げて31三振を奪った。20歳右腕の投球が話題になったのが、同年オフに台湾で開催されたウイン
ターリーグだった。9試合登板で防御率1.38を記録し、13イニングで投球回数を上回る17奪三振。投球フォームの見直しを図り140キロ台後半だった平均球速が、常時150キロ台前半を計測した。フォークの落差も鋭くなり、三振奪取能力が上がった。
酒田南高で甲子園出場はならなかったが、184センチの長身から投げ下ろす力強い直球にプロのスカウトの評価は高かった。独立リーグの監督は「支配下で指名がかからなかったとき、ウチに来てくれないかなとひそかに思っていたんですよ。体が出来上がったら160キロを狙える。大化けしたら
千賀滉大(メッツ)のようにメジャーでプレーしても不思議ではない」と素材を絶賛していた。
育成からメジャーに羽ばたいた千賀
育成出身の投手で、最高傑作の呼び声が高いのが千賀だ。蒲郡高では無名の存在だったが、育成ドラフト4位で
ソフトバンク入団すると、プロ2年目の2012年4月に支配下昇格。13年に救援で51試合登板して17ホールド、防御率2.40と頭角を現した。16年から先発で7年連続2ケタ勝利をマーク。20年は最多勝、最優秀防御率、最多奪三振と投手三冠に輝き、侍ジャパンでも主戦投手を務めるなど球界を代表する投手となった。海外FA権を行使してメッツに移籍初年度の23年も、鋭い落差で打者の視界から消える「お化けフォーク」を武器に12勝をマークした。千賀は
菅野智之(当時巨人、現オリオールズ)と20年1月に週刊ベースボールの企画で対談した際、以下のように語っていた。

千賀は高卒2年目に支配下昇格し、翌年には51試合登板を果たした
「僕は育成選手から上がってきた立場なので、とりあえず、支配下になりたい、一軍で投げたいというステップアップをイメージしてきました。僕が入ったときは杉内(
杉内俊哉、現巨人コーチ)さんと和田(
和田毅)さんの2人がいて、『2人が投げたら大丈夫』と言われていました。経験を重ねて、この人たちみたいになりたいな、と。一軍で投げるようになって、失敗が続くと、『ボールはいいけど、最近は……』とか野手の人に言われてしまうこともあって。それではダメなんですよね。『お前だから大丈夫』と思われてマウンドに立っていられないと」
「僕は育成から上がってきて、今、ちゃんと結果を残せているか、貢献できているのか、自分では判断し切れない部分ではあるんですが、ただ、上を見て、行動をしたいという気持ちの先にあるのがアメリカだと思っています。メジャーを目指してプレーして、トレーニングをするのは普通なんじゃないかな、と」
千賀が大ブレークしたのは技術面で大きく飛躍しただけでなく、飽くなき向上心を持ち続けて常に上を目指していたからだろう。田村は大きな可能性を秘めた右腕だが、まだまだ発展途上だ。入団時より制球力が向上したが、一軍で活躍するためにはもう1ランク、2ランク精度を上げなければいけない。直球もまだまだ速くなる。今年はファームで登板機会が増えるだろう。好投を続け、支配下昇格を勝ち取れるか。運命は自分の手で切り拓く。
写真=BBM