
照れたような笑みを浮かべてダイヤモンドを一周し、ホームインした田代。このとき24歳6カ月だった
77年に35本塁打、78年に27本塁打
1978年、球団創立29年目にして初の優勝を果たした
ヤクルトは、翌79年4月7日の開幕戦を本拠地・神宮球場で迎えた。午後6時45分の試合開始を前に、前年王者の前途を祝すように120発もの花火が打ち上げられ、夜空を鮮やかに照らした。ファンの期待も大きく、球場は4万8000人もの観客で膨れ上がった。ムードは満点だった。
勝ったチームにはヒーローが付き物だ。しかし、この日主役のはずのヤクルトからヒーローは出なかった。それは前年4位の対戦相手・大洋にいた。しかも「投」と「打」で2人も、である。
大洋の先発は31歳のベテラン・
平松政次。その武器は「カミソリ」と例えられた切れ味抜群のシュートで、必殺の魔球は
長嶋茂雄(
巨人)をも苦しめた。70年には25勝を挙げて最多勝と沢村賞を獲得。71年も17勝で最多勝に輝いた。その後はケガに悩まされることも多く、成績はやや低迷していたが、依然としてエースであることに変わりはなかった。
通算8度目となる開幕のマウンドに上がった平松は、不安な気持ちを抑えられないでいた。「調子が最悪」(平松)だったからだ。キャンプやオープン戦は順調に過ごしたが、開幕直前に突然様子がおかしくなった。試合前のブルペンでもボールの切れが悪かった。それでも・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン