
日生球場での試合後、ダイエーファンがバスを取り囲む。大阪なので南海時代からの熱心なファンが多かったのかもしれない
最下位を独走した王監督就任2年目
20年間でAクラス17回、リーグ優勝7回、日本一7回。これは2005年に誕生した
福岡ソフトバンクホークスが、昨年までに残した成績である。この間、2年連続Bクラスは一度もない。球史に残る強豪チームと言っても過言ではないだろう。
そんな常勝ホークスも、かつては長い長い「冬の時代」を過ごした。大阪が本拠地だった南海時代の1978年から、親会社がダイエーに代わり、福岡に移転して9年目の97年まで、ホークスはNPBワースト記録となる20年連続Bクラスという屈辱を味わったのである。
球団も、ただ手をこまねていたわけではなかった。最も大きかったのは、94年オフに
王貞治を監督に招聘したことだろう。「世界の王」をバックアップするため、球団は
西武からチームリーダーの
石毛宏典、左腕エースの
工藤公康をFAで獲得。開幕直前にはMLB通算220本塁打の大砲
ケビン・ミッチェルと契約を交わした。今年こそは、と期待したファンは多かった。
しかしフタを開ければ、結果は惨憺(さんたん)たるものだった。95年、期待のミッチェルは無断で帰国するなどトラブルメーカーぶりを発揮し、故障者も続出。54勝72敗4分けの5位に終わった。王を呼び、大型補強までしてこのザマか……。ファンのフラストレーションは高まっていった。それが最悪の形で現れたのが、王政権2年目の96年5月9日に起きた、通称「生卵事件」である。
開幕戦となる3月30日の
ロッテ戦(千葉マリン)に敗れたダイエーは・・・
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