菊池雄星、大谷翔平、そして今年は大船渡高の佐々木朗希。いまや世界レベルの好投手が輩出するようになった東北の地だが、かつてはドラフト「無風地帯」でもあった。 ![](https://cdn.findfriends.jp/img.sp.baseball/show_img.php?id=65352&contents_id=p_page_001)
花巻東高から日本ハムに進んだ大谷翔平。今はメジャーで二刀流に挑む
先駆けは「コーちゃん」
「無風地帯」というと語弊があるが、1965年秋に始まったドラフト会議において、主役が東北の、ましてや高校生になることはまずなかった。
北海道、甲信越地方なども同じことが言えるが、長い冬が影響する。暖冬の昨今はまた違っているかもしれないが、雪深き地になると、12月から4月初めまでグラウンドでの練習ができなかったりする。こうなると、いくら資質が高くても開花は遅れがちだ。高校生年代からプロのスカウトをざわめかすような選手は、なかなか出てくることができない。1968年秋、東北出身では史上最多通算284勝を挙げた
山田久志が阪急に1位指名されたが、能代高(秋田)から富士鉄釜石を経てだった。
例外的存在が、69年秋の三沢高・
太田幸司だ。69年の夏の甲子園、松山商高との決勝で延長18回引き分け再試合となり、敗れたときのエース。白系ロシアの血を引く甘いマスクで「コーちゃんブーム」を巻き起こした。近鉄入りとなったが、11球団が指名あいさつに来たなかで、一番熱心だったのは
阪神だったという。太田自身も希望球団だったが、2番くじで太田を指名するチャンスがありながら東海大の
上田二朗を選んだ。新監督となった
村山実が即戦力投手を希望したからと言われた。甲子園のアイドル投手では78年、福島商高で“福島の玉三郎”と言われた
三浦広之が阪急に2位、86年、秋田経法大付高で“秋田の玉三郎”と言われた
松本豊が大洋にドラフト外で入った。
甲子園組では秋田商高の
高山郁夫が149キロの快速球で沸かせ、80年秋、日本ハムに1位指名されたが、拒否し、プリンスホテルを経て85年ドラフト3位で
西武に入団した。
85年春夏連続甲子園ベスト8となった東北高(宮城)のエース・
佐々木主浩は、東北福祉大を経て90年大洋(のち横浜、現
DeNA)にドラフト1位入団。このとき高校、大学の2年下が
斎藤隆だった。佐々木の1年後の91年に同じく大洋に1位で入団。先発を経て佐々木のメジャー移籍後にクローザーとなり、同じく海を渡った。斎藤の大学同期では
金本知憲、
矢野輝弘らが・・・
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