ここからは球団別に「四番打者」の歴史を掘り下げていく。チームの看板を背負う男たちには数字にプラスアルファの何かを持っていた。 ※KING of KINGSで紹介している選手が編集部選定の球団史上最強四番打者 
在籍わずか8年も史上最多三度の三冠王を獲得した落合博満
職人肌の主軸たち
35歳という高齢でのプロ入りながら、チーム初代四番を務めた
戸倉勝城を中心とした“毎日ミサイル打線”で1950年にパ・リーグ初代王者に。その戸倉は翌年に阪急に移籍したが、以降も主軸は固定。54年から64年までの10年間は、
山内和弘(一弘)が四番に君臨した。卓越した打撃技術で“内角のシュート打ちの名人”とも呼ばれた打撃職人は、54年から2年連続で打点王、57年に首位打者、59年から2年連続で本塁打王とタイトルを次々と獲得。チームを優勝に導いた60年にはMVPにも輝いている。
数字やタイトルで言えば・・・
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