ここからはクローザーの歴史を年代ごとに振り返っていこう。セーブが公式記録となったのが1974年。投手の分業化が進むとともに、抑え投手の役割も徐々に変化していった。 鹿取義隆(79-97[巨人-西武]) 755試合、91勝46敗131S846奪三振、防御率2.76
多彩な顔ぶれがそろう
1980年代に入ると各球団で「顔」となるようなストッパーが次々と現れてくる。巨人ではサイドハンド転向で覚醒した
角三男(角盈男)からのちに西武でも腕を振ることになる鉄腕・鹿取義隆、
阪神でも先発とリリーフの兼任だったサウスポーの
山本和行がリリーフ専任となっていき、85年日本一のときのストッパーは最優秀救援投手に輝いた
中西清起だった。
中日では
鈴木孝政のあと
牛島和彦がその座を受け継ぎ、タイトルには手が届かなかったが最多セーブ。牛島は
ロッテ移籍後も・・・
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