160キロと159キロの間の時速1キロは、機械が測定した数字を人間が信じているから、差があるように感じるものだ。では、スピードガンがなかった時代、人はどのように剛速球を評価しようとしたのだろうか。先人たちの知恵と工夫を紹介しよう。 文=キタトシオ 
1946年に米軍の弾丸測定器によって計測されたボブ・フェラーの終速は約159キロだった[写真=Getty Images]
「速度の数値」をさまざまな方法で知ろうとした先人の歴史
大谷翔平や
佐々木朗希がストレートを投げ込み、球場やテレビで160キロを超える球速が表示されるたびに、われわれは思わず驚きの声を上げる。剛速球投手のストレートがどれくらい速いのか、誰より速いのか。われわれはスピードガンの数字によって容易に判断することができる。
スピードガンが日本で一般的になったのは1970年代後半からと言われているが、それ以前から投手の球速を測る試みは洋の東西を問わず数多くあった。その例をいくつか紹介しよう。
まずは野球の本場・アメリカから。30年代後半から50年代にかけてクリーブランド・インディアンス(現・ガーディアンズ)のエースだったボブ・フェラー(通算266勝)は大リーグを代表する剛速球投手で、日本でも「火の玉投手」としてよく知られていた。46年、ホームプレート上に弾丸速度計測器を設置し、そのストレートの球速が測られた。はじき出された数値は98.6マイル(約159キロ)。これは終速値であることを考えると、初速はこれ以上ということになる。さらに言えば・・・
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